アントニオ・ラウロ
           
(1917年、ベネズエラのCiudad Bolivar生 1986年、死去)

                   



         =経歴=

 父親は北イタリア生れのアマチュア音楽家で作曲もする才能を持っていた。
1926年、父の死後カラカスに移り住んだ。
1931年、正式に音楽の勉強を始めラウロの優れたバスはすぐに認められて、
1933年、すぐに第一ソリストに抜擢された。
1934年、正式にギターを学び始めめすぐに頭角を現わし、
ラジオカラカスの専属ギタリストになる。ポピュラー歌手の伴奏などをしながら、
ギターの最初の作曲をする。
 
 1935年、ボーカル・インストゥルメンタル・グループを結成。
1938年、このグループで南米ツアーを敢行し大成功を収める。
1941年、カラカスに戻りギターの勉強を続けることを決意。
1947年、音楽の勉強を終える。
その他多くのレパートリーを持つ。

 1950年代音楽教師となり、ベネズエラ交響楽団の打楽器奏者も務めた。

マルコス・ペレス・ヒメネス独裁の1951年から1952年の間、
民主化運動への参加のため数ヶ月間投獄される。
ギターのためのソナタ,ギターのための組曲,という彼の重要な作品はこの時期につくられる。
1959-60年、ベネズエラ交響楽団の主席となる。
ラウロはギターのソリストとしていくつかのツアーをヨーロッパで行い、
1980年と1982年にはパリとロンドンに、
ジョン・ウィリアムス、パコ・ペーニャを招きコンサートを開催した。

 1985年にベネズエラ共和国の国民音楽賞を大統領から受賞した。
自らの技法を伝授する著作物も数多く出版。
1986年、68歳で死去。
ラウロは、ブラジルのビラ・ロボス、パラグアイの、バリオスと並び称される。
ラウロのギター作品は現代においてもギタリストの重要なレパートリーとなっている。


                            

アントニオ・カルロス・バルボサ・リマ/カルロス・イアフェリーセ

マルチネス・サラーテ/リベイロ

ガスコン/ラモス

ペロット/ビックフォード/パパス

シマデビーリャ/フォルテーア/ダマス

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アグスティン・バリオス

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参考:web・ウィキペディアより



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