ホセフィーナ・ロブレード・イ・ガリェーゴ 

                           
スペインの女流ギタリスト。

                          (1897年 5月10日-1972年 )


                        




== 経歴 ==

 ホセフィーナ・ロブレード・イ・ガリェーゴは、

ターレガ奏法を受け継いだ唯一の女流ギタリストで、

バレンシアに生まれた。

幼い頃よりギターを習得していたが

1907年、7歳の時からターレガに師事している。

はじめは爪と指頭の両方を使用した奏法であったが、

ターレガに師事してからは指頭奏法に切り替えている。

その音の美しさは群を抜いていたろ伝えられている。

 ギターと同時に、ペーニャ・ローバに音楽史と和声を習った

1907年、10歳でバレンシア音楽院で第一回の演奏会をおこなった。

10歳でのリサイタルは当時としては、

大変な天才少女の出現であったと思われる。

 1912年、ターレガ崇拝者のイギリスのギター奏者、フルター・レッキェに、

南米のギター界の話を聞かされ、

そのころから南米行きをひそかに心に決めていたらしい。

1914年、17歳の時に念願かなってアルゼンチンのブエノスアイレスを訪れ、

その後、1923年の10年間、ウルグアイ、パラグアイ、ブラジルなどで演奏会を開いたり、

教授をおこない、ターレガの技巧と精神を南米各地に広めた。

26歳の時長年住み慣れた南米を去る前、

1923年、9月11日、14日、20日の3日間、

ブエノスアイレス近郊のラバラタ市で最後の演奏会を開いている

 1924年、自分の祖国に戻った彼女は、マドリッドに住むようになり、

ウィリアムス音楽院の教授となった。

その年の5月13日と16日の両日、帰国演奏会を開き、絶賛をはくした。

その結果ヨーロッパ各地に演奏に出かけるが、

その後突如として活動を停止した。

 彼女については、現代女流ギタリストナンバーワンであり、

日本にも2回訪れている。

マリア・ルイサ・アニードも9歳の時に4か月ほど支持している。

現代ギター史上に残っている門下生は、オスバルド・ソレアス1人であるが、

彼は、1923年、「ターレガ奏法」なるギター教則本を残した。

彼女はオリジナル作品はほとんど残してはいないが、

師のターレガ譲りのめい編曲を残している。

ファリャ、グラナドス、ルビンシュタインの子守歌、

ゴダールのワルツ、メンデルスゾーンの舟歌などが特に優れている。






フリオ・サルバドール・サグレラス(クリック!!)

カール・シャイト(クリック!!)

レナータ・タラーゴ(クリック!!)

ダニエル・フォルテア(クリック!!)

マリア・ルイサ・アニード(クリック!!)

ルイゼ・ワルカー(クリック!!)

ジークフリード・ベーレント(クリック!!)

イダ・プレスティ(クリック!!)

ヘスス・ゴンザレス・モイーノ(クリック!!)

アリリオ・ディアズ(クリック!!)

ナルシソ・イエペス(クリック!!)

アンドレス・セゴビア(クリック!!)

アントニオ・ホセ(クリック!!)

レヒーノ・サインス・デ・ラ・マーサ(クリック!!)

エミリオ・プジョル(クリック!!)

ミゲル・リヨベート(クリック!!)

フランシスコ・ターレガ(クリック!!)

フリアン・アルカス(クリック!!)

ホセ・フェレール(クリック!!)

ジュリオ・レゴンディ(クリック!!)

ナポレオン・コスト(クリック!!)

ヨハン・カスパル・メルツ(クリック!!)

フランチェスコ・モリーノ(クリック!!)

フィリッポ・グラニャーニ(クリック!!)

ルイジ・リナルド・レニャーニ(クリック!!)

☆アントニオ・カーノ(クリック!!)

☆マッテオ・カルカッシ(クリック!!)

☆マウロ・ジュリアーニ(クリック!!)

☆フェルディナンド・カルリ(クリック!!)

☆ディオニシオ・アグアドへ(クリック!!)

☆フェルナンド・ソルへ(クリック!!)


参考:web・ウィキペディアより



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