アントニオ・カーノ 

           (1811年 12月18日、スペイン、ムルシア州 ロルカ生
                       1897年 10月21日、マドリード没)


                       


 アントニオ・カーノは幼児から音楽の才能に恵まれ、

父と同じく外科医になるべく勉強のかたわら、教会で音楽を学んだ。

その後、ギターをビセンテ・アヤーラ(Vicente Ayara)に、

和声、作曲法を(J.Soriano Fuertes)についた。

医学校を卒業して、しばらく郷里で医師となっていたが、

1847年、マドリードに移った時、

著名なギタリスト、アグアド(Dionisio Aguado)に会って彼に激励された。

そしてスペイン各地でコンサートを催し、

輝かしいギタリストとしての名声を得た。


 1850年、マドリードに居を定めてから、

多くのギター曲を生み出した。

又、教本も作り上げた。

この教本は簡潔で、

練習曲のメロディーの美しさのために広く愛好された。

又、教本の第2巻では和声の論文として出版された。

1853年から58年までの5年間に渡ってフランスとポルトガルに演奏旅行に出て、

それらの地に滞在したが、

再びマドリードに帰ってからは王宮のコンサートに招かれ、

女王イサベル2世から素晴らしい贈り物を受けるほどの演奏をした。

1857年、国立聾唖盲学校の教授となり、

1897年10月21日、マドリードで没する。

彼の息子フェデリーコもギタリストとなりあの有名なタレガの師となる。



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参考:ウィキペディアより



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