マリア・ルイサ・アニード 

                             
アルゼンチンの女流ギタリスト。

                  1907年 1月26日(ブエノスアイレス生-1996年 6月4日バルセロナ死去)

                          (本名:イサベル・ゴンザレス・マリア・ルイサ・アニード)

                              



== 経歴 ==


 
ブエノスアイレス(アルゼンチン)の行政区のモロンで、

彼女は1907年1月26日に生まれました。

彼女は、ファン・カルロス・アニードと、

ベチルダ・ゴンザ・レズ・リゴーの4人目の娘でした。

彼女が幼いころに家族はブエノスアイレスへ引っ越しました。

彼女は、ギターをアルゼンチンのドミンゴ・プラトと、

スペインのM・リョベートにレッスンを受けました。

 1925年から、彼女はリョベートと共に、

アルゼンチンでしばしばコンサートを行いました。

 彼女の最初のロンドン出演は、ウィグモア邸で1952年でした、

各地でコンサートを開催しその天才ぶりに周囲を驚かせた。

同時期に活躍した、イダ・プレスティー、ルイゼ・ワルカーとともに、

三大女流ギタリストの一人です。

そして、彼女は、ロシアで教えることに1960年代の数年を費やしました。

後に、彼女はブエノスアイレスの音楽学校の教師になりました。

1980年代中頃までには、スペインのバルセロナの近くで生活し、

1907年 6月4日、タラゴナで死去しました。

 フリオ・サルバドール・サグレラス作曲の「マリア・ルイサ」は、

彼女のために作曲されました。



 
        少女時代              リヨベートの描いたアニード




左から、リヨベート、プジョ-ル、ファン・カルロス・アニード、アニード、

右端:ドミンゴ・プラト





 1954年 5月24日来日、明仁皇太子とアニード




      アルハンブラの思い出





ルイゼ・ワルカー(クリック!!)

ジークフリード・ベーレント(クリック!!)

イダ・プレスティ(クリック!!)

ヘスス・ゴンザレス・モイーノ(クリック!!)

アリリオ・ディアズ(クリック!!)

ナルシソ・イエペス(クリック!!)

アンドレス・セゴビア(クリック!!)

アントニオ・ホセ(クリック!!)

レヒーノ・サインス・デ・ラ・マーサ(クリック!!)

エミリオ・プジョル(クリック!!)

ミゲル・リヨベート(クリック!!)

フランシスコ・ターレガ(クリック!!)

フリアン・アルカス(クリック!!)

ホセ・フェレール(クリック!!)

ジュリオ・レゴンディ(クリック!!)

ナポレオン・コスト(クリック!!)

ヨハン・カスパル・メルツ(クリック!!)

フランチェスコ・モリーノ(クリック!!)

フィリッポ・グラニャーニ(クリック!!)

ルイジ・リナルド・レニャーニ(クリック!!)

☆アントニオ・カーノ(クリック!!)

☆マッテオ・カルカッシ(クリック!!)

☆マウロ・ジュリアーニ(クリック!!)

☆フェルディナンド・カルリ(クリック!!)

☆ディオニシオ・アグアドへ(クリック!!)

☆フェルナンド・ソルへ(クリック!!)


参考:web・ウィキペディアより



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