=ギターエッセイ=
ここに連載するエッセイは50年以上前に書かれた、
著名な音楽評論家によって書かれたエッセイです。
読み応えのあるエッセイなので、
何回かに分けて掲載していきます。
(1)(2)(3)(4)(5)(6)(7)
ギターの音楽も、その演奏も、歴史とともに変わっていくだろう。
セゴヴィアの演奏そのものが、
この前に書いたように、
ロマン主義という音楽思潮の影響を、
強く受けていることは言うまでもない。
それは、古典的な精妙な動きよりも、
近代的な豊かさを求めているともいえるかもしれない。
けれども、私は、その中に、
やはりギター音楽独特の古典的な世界を強く感じた。
演奏家の個人的な欲望を越えた、
楽器の深い運命を感じたのである。
わたしは、日本のギターの世界をほとんど知らない。
しかし、ここでも、一つの「近代」が、
始まっているのは確からしい。
ギター音楽の特殊な世界よりも、
もっと広い「音楽」の概念が求められているのである。
それが間違っているとは思わない。
日本のギター界がどうしても通らなければならない、
一つの過程であるに違いない。
けれども、私は、そうした近代化の意識が、
ギターという楽器を一つの機械にしてしまうことを恐れる。
音楽などというものは、本当はどこにもありはしない。
ギターとかヴァイオリンとかいう楽器をつくりあげたのは、
音楽という抽象的な観念ではなくて、
具体的な「音」に対する人間のイメージであり、
そのつどの欲望なのである。
「音楽」を追及するのはよいが、
それはギターという「特殊」な世界に、
距離を置くことによってではなく、
その音の中に、言いかえてみれば、
ギターの音を選らんだ一人一人の欲望の中に、
求めていかなければならないだろう。
音楽は、私共一人一人が、自分たちの音を選ぶときにはじまる。
それ以前に、音楽という客観的な世界があるというのは、
近代人の錯覚に過ぎない。
私はギターをやっている方々にお願いしたい。
「音楽」はあなた方がギターを選んだ、という行為の中にしかない、
そこにしか、貴方がたの出発点はないのだということを、
決して忘れないでいただきたいのである。<完>
topへ