鳳凰三山縦走記


                         第六回
               
                ()()(

                     



 胸突き八丁の登りは、永遠に続くように思われた。


早朝から登っているのにまったく人に会うことがない。

われわれ4人がひたすら登っている。

(どうなるのかなー?)

と、なんだか不安になってくる。


疲労遭難をするのはどう見ても一人だ。

後の3人はとにかく登るほどに元気になる。

荷物を分けて3人の荷物は重くなっているにもかかわらずである。


こりゃあ大変なところに来たナとつくづく思う。

然しそんなことは間違っても言えない。

なぜなら今回の企画に大いに
その気になっていたのは自分だからだ。


いやはや・・・。

とにかく・・・前進しかない。


隊長の叱咤激励をザック越しに聞いて、

一段と狭くなった歩幅で止まりそうなくらいゆっくり登る。


汗が全身から吹き出てくる。

まさに、ここまで吹き出てくるという感触は、

生まれて初めての経験だと思う。


髪の毛一本一本の毛穴から汗が出てくる。

休憩でバンダナをとると絞れるくらいだ。

T
シャツも水に飛び込んだようにびっしょりだ。

水は飲んでも飲んでも満足することがない。

持ってる水を全部飲んでしまいそうになる。

いけない雰囲気だ・・・。

とにかく樹に囲まれていて風もほとんどなく、


湿度がめちゃくちゃ高く蒸し暑い。

「小屋はまだかなー、隊長」

この言葉がたびたび出るようにもなった。

いかん・・・気持ちがめげている。


上から2人の50歳前後のおじさんが降りてきた。

この2人に「小屋はまだですか?」

誰かが聞いたと思う。

「まだしばらくあるね」と一人が答えた。

(まだかなー・・・)という表情がこちらに見えたのだろうか。

答えてくれた人が「みんないい体格してるねー」と言い、

さらに「みんな若いんだから大丈夫だろ」と付け加えた。

(なんか大丈夫じゃないんですけど・・・)

いい体格をしているのは、

わたくしを除いた3人であることは、

すぐにわかる。


シンドウ君もサイトウ君も180センチは越える大男だ。

しかもサイトウ君は肉ずきも良くて

相撲取りで言えば関脇というところだ。

隊長は、もう少し小柄だが肩幅が広くてがっちりしている。

運動不足で小柄でしかもひょろりとしているわたくしを、

どうもお二人は見てないなというのがよくわかった。

この二人が地蔵小屋まで登って会った唯一の人だった。

いかに誰も登りに行かないところかよくわかった。

最も今の登山ブームで少しは人が増えたかもしれない。

道も整備されてると思う。

何しろ去年の北沢峠の人の多さだったら

ドンドコ沢といえども登る人は増えただろう。

だが登る道が急なことは変わっていないだろう・・・・・。



 三歩歩くと一歩が止まる、

止まる度に隊長の鼻息を聞いて、

なんとしても歩かねば・・・でまた一歩を出す。

それを繰り返しているうちに突然道が切れた。

視界が広がったと思ったら次の道の入り口が

かなり前方に見えて、

その間には道らしい道がない。

なんと細かい土と砂が混じったような

サラサラ状態でスッパリ切れている。

はるか下まで樹もない、崖のように急な斜面だ。

「隊長、道がないんじゃない」

と、思わず言うと

「ここを越えるんですよ」

と、臆病なわたくしに無情の一言が出てきた。


こんなズルズル滑りそうな斜面を

歩くことなど生まれて初めてだし、

歩かなくてはいけない状況に出くわしたこともない。

「ここを歩くのは、ちょっときびしいんだけど・・・」

と、真剣に言った。

シンドウ君とサイトウ君が「大丈夫ですよ」

と言って、スタスタ歩いて行ってしまった。

残されたこちらは怖くてすくんでいる。


「行ってください」

隊長の言葉が出た。

「ちょっとなー」

と、なをも踏み出せないでいると

「ほかに道もないから仕方ないですよ、

体を斜面のほうに倒さないで、

まっすぐに歩けば滑りませんよ」

と隊長が言う。

(まあ行くしかないか・・・)

と、こころに決めて一歩を踏み出した。

膝を伸ばすことができない。

いわゆる典型的なへっぴり腰だ。

しかも片方の手で土壁に触りながら・・・。

でないと滑りそうで怖くて仕方がない、

恐怖の中で歩き切った。

ようやく到着すると、

サイトウ君とシンドウ君が立っていた。

「怖そうでしたね、こういうところは

スタスタ歩いたほうがかえっていいんですよ」

サイトウ君が憎たらしくも言った。

「ちょっと怖かったな」

悔しさを押し殺して言った。

年下のサイトウ君に平然と言われると

なんとも憎たらしいのだが、

これだけへっぴり腰を見せてしまうと何とも言えない。


振り返ると隊長がスタスタと普通に歩いてきた。

「ここで少し休憩しましょう」

うれしい一言が出た、

かどうか実際はよく覚えていない。

しかし、このようなところを怖がりもしない皆が

不思議でしょうがなかった。


この鳳凰三山縦走から二十年が過ぎようとしているが

サイトウ君と隊長とは、いまだに一緒に登っている。

サイトウ君は日ごろの不摂生がたたって

ものすごく太って、この時のような軽快さがなくなって

登る度に初日の登りは大変苦しそうだ。

わたくしといえば、持っていく荷物が、

吟味しながらますます軽くなって、

とりあえず軽快な足取りで登っている。
=つづく=



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