鳳凰三山縦走記


                         第二回
               
                (一)


                 





今回の登山メンバーが新宿駅アルプス広場に集まった。
(今はもうこの名称は存在しない)


周りにもザックをかついで行ったり来りしている人、

ザックを置いておしゃべりしているグループなど

さまざまなスタイルでけっこうたくさんいる。


これから登ろうという気持ちで広場全体が一致している。

自分たち以外顔見知りはいないのだが、

なんだか妙に気持ちが一致してるのが新鮮だった。

こういう時というのは、

自然に気分は開放的になるし、明るくなる。

これが登山というアウトドアスポーツの魅力なんだなと、

この時初めて理解した。


新宿駅などは、夜遅く歩いていて明るいというイメージは、

あまりない。うす暗い感じさえする。


しかし、こういう開放的な気分の時は、やたらと明るく感じるし、

みずみずしいエネルギーが充満しているように思える。

人間気分次第で状況というのは明にも暗にもなるのがわかる。


山登りが20年近く続いているのは、

実はこういう非日常的なエネルギーをかなりハッキリ

自覚できるからではないかと思う。

サラリーマンスタイルの人達の流れの中で、

冒険に行くんだみたいな、

特別な自分を見ることのできる唯一の時だ。


とにかく4人それぞれザックを持って集まり、

それぞれのザックを持ち上げたりした。

この時にやたらと自分のザックが重いので弱冠不安な気分になった。

しかし顔は、満面笑っていた。


不安な気持ちを悟られたくないからだ。

ここで弱気を見せたら他の3人にバカにされそうだ。

とにかくここでは一番年長なのだ。


しかし、ホームに上がろうということになって

ザックをかついで立ち上がろうとすると、

なんと!、立ち上がることができない。

一人では立ち上がれないのだ、

この状況に他の3人は笑っていた。


しかし、5歳年下の隊長が、まあまあということで、

立ち上がるのを手伝ってくれた。


それでも山のザックというのはよくできているもので

ホームへ向かう階段を上がる時は、たいした抵抗も受けない。

ここで、登る時は大丈夫だなと変な気休めをしてしまう。


ホームに立っていると、11時57分の

その当時、通称「山電車」が入ってきた。

中央線、普通「松本行き」の電車だ。

のんびり駅に停車しながら一晩かけて松本に行く電車だ。


ドアが開くとさっと乗り込んで席を確保する。


メンバーの一人のザックは、

全員の即席ラーメンが日程分入っている。

網棚に乗せると粉々になるのではないかと心配になる。

しかし、山で食べるのに形にこだわる必要もないのだ。

ベビースターラーメン状態になっても、

なんとなくそれらしければそれでいいということだ。


電車は静かに走り出した。いよいよ出発だ。

ホームの灯りと人が過ぎてゆき、夜の暗い中に出ると、

一抹の寂しさをおぼえた。

慣れた場所を去る時のあの気分だ。

夜のホームを去っていく気分は演歌なのだ。


夜行列車といえば川端康成の雪国を思い出す。

あの冒頭の有名な一行だ。

しかし、この時は、梅雨明け直後ぐらいの夏だった…。


斜めの座席に、今ではちょっと記憶にないが

最初から乗っていたのか途中から乗ってきたのか、

ガッチリとした体格でヒゲの濃い、

30代後半に見える男性が座っていた。


ニッカーボッカ姿で、

だいぶ使われてきたという登山靴をはいていたと思う。

色も黒くてとにかくたくましく見える。


その男性が山用のウィスキーなどを入れていく

小さな金属製の水筒を出して、グイと一口飲み、

ニンベンのカニカマボコをパクリと食べた。


この雰囲気がまた、きまっていてかっこよい。

山男というのは、こういう寡黙な雰囲気で、

重量感のある動作が必要だと思う。

なんとなくドラマを感じさせる雰囲気だ。


対して自分は、痩せていて、筋肉もなく、背も低い。

今では、お腹の回りは少し太くなったが

この時はなんとも頼りない風情だ。

いかにも運動不足という体格だった。

南アルプスが似合うというような風情ではまったくなく、

高尾山がぴったりくる見た目だった。

こういう人のように渋くなるには、

まだまだというか長~~~い時間がかかりそうだ。


夜行列車では、ついに一睡もできずに韮崎駅に到着した。

とにかく何をどうしようとも眠ることはできなかった。

これは皆同じだった。

一睡もせずに南アルプスに登るなどというのは、

地獄の沙汰だというのがこの後身に沁みて分かることになる。


改札口を出て登山口にあたる青木鉱泉に予約しておいた車を探した。

外はまだ暗い。


どこにいるのかとキョロキョロしていると隊長が見つけた。

この隊長は、とにかく何でもよく人よりも先に気がつく。

この時の山行計画も全部彼の仕事だ。

こまめに調べて実に正確だった。

車の予約も彼が引き受けてやってくれていた。


しかし、今思うと持ち物についての突っ込みが

少し足りなかったように思う…。


車に乗り込んでいよいよ登山口になっている青木鉱泉に出発した。

温泉に泊まるわけでもないのに、

このように迎えに来てくれることに感謝したい。


車が走るにつれて少しずつ空が白くなってくる、夜が明けてくる。

このような山に向かっての夜明けは初めてなので、

非常に新鮮でなんだかうれしくなった。


しかし、夜まったく眠っていないので

頭がハッキリしていないのが少し残念な気がした。


車は止まることなく走り続け、かなり走ったと思うころ、

下に水が流れているような所を通った。

浅い川なのだろうか、しかしスッと通り抜けたわけではなく、

けっこう距離があったと思う。

こういう自然に出会ったのも初めてだった。


デコボコ道を走り、木々の中にひっそりと立つ青木鉱泉に着いた。

お礼を言って登る身支度を始める。


クツのヒモをしっかりしめて、

カメラやレンズを入れたウェストバックをお腹に巻き、

フィルターやフィルムを入れたチョッキを着る。

準備をしながら気持ちが引き締まっていくのを感じる。

まだまだアルプス登山初心者ということで、

垢抜けない雰囲気ではある。


青木鉱泉の建物を見たが

山小屋のような、

なんとも地味な造りだった。

温泉としてはこじんまりした建物だった。


秘湯の一つなんだろうなとその時思った。

周りが鬱蒼とした木々にかこまれているせいか、

なんとなく薄暗い。


これから登るんだという自分の気持ちと、

他の3人のリラックスしたふんいきと、

自分の緊張した気分のズレが埋まらないまま出発した。


10才以上ちがうサイトウ君と

それに近いくらいちがうシンドウ君の

足どりはなんとも軽かった。


それを見ながらテクテク歩いた。

一番後ろといっても自分のすぐ背後だが隊長が歩いていた。

やはり隊長も元気だった。


歩きはじめてしばらくは、それほどの急坂もなく歩きやすかった。

ただ、カメラと三脚をしっかり持ってきたにしては、

撮影できるようなポイントは、一ヶ所もなく、

ただたんに重いだけだった。



南アルプスはその後も何度もいろいろな山を登ったが

とにかく撮影できるような場所に出るには、

はるか上まで登らなければならない。

ほとんどが深い樹林帯なのだ。

南と付くだけあってそれだけ森林限界点が高いということだ。


北アルプスまた全然違っていて、

白馬岳の大雪渓に行った時などは、

歩きはじめるとすぐ撮影したくなるような水の流れ、

木々の緑に出会うことができ、

シャッターを押す指先が休む暇もないくらいだ。

とにかく少し歩いては写真を撮っていた。


前衛の山といっても鳳凰三山は立派な南アルプスの山なのだ。

ようするに大人の山だ。


頂上近くまで行かなければ素晴らしい景色を

見せてくれることはない。

頂上についてなお体力気力の余裕がなければ

カメラを構えしっかり撮影することもむずかしいのだ。

この時しっかりと思い知らされた。=つづく=




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