鳳凰三山縦走記


                         第一回



            




日本アルプスを歩いた最初は、

南アルプス「白峰三山」前衛の山脈「鳳凰三山」だった。


ドンドコ沢から登ったのだが、これがメチャクチャ苦しかった。

4人で行ったのだが、なにしろ他の3人は、若い。

一番近い年齢の人で5才離れている。

一番下では、10才以上離れている。

一緒に登ること自体多少の無理があると思えるのに、

アルプス系の山登りをそれまでしたことがない悲しさ

というかなんというか、行こう行こうのノリで行ってしまった。


そもそもこの文のタイトルの「鳳凰三山縦走記」というのがすごい。

語感からは、襟を正すようなピリッとした雰囲気がある。

なんとなく勇壮な気分にさせるものがある。


最初は「鳳凰三山登山の思い出」とか「山頂フラフラ日記」でも

しようかと思ったが、それでは、なんだかいきおいが出ない。

よし!書くぞ!みたいな、決意がかたまらないのだ。


文章などは、我々くらいになると宿題は無し、

事務の書きこみくらいしか文字を書かない。

仕事で書くことはさっさとできるが、

個人的なことになるといきなり、なんだか腕が重くなる。

考えているとくたびれてくる。

文章をまとめるというのがうっとおしくなるのだ。


しかし、このタイトルを思い浮かべてしばらくの間、

チラチラ意識していたら、なんか思い出が、

断片的によみがえってくるではないか。

一つ二つ印象的なことが出てくると、

次々にあんなことこんなこと…。

また、一緒に行った連中のその時々の表情が浮かんでくる。

思い出しているうちに楽しくなった。



書こうと決めて、帰りの電車の中で

あれこれ文章をつなげているうちに、

周りをはばからずクスリと笑ってしまったり、

一点を見つめてかたまってしまったりした。

そんなことが続いた。


おおまかなことが決まってきて

深夜の帰宅電車の中で思い出に浸っていると、

ちょうど下に広い国道が通る場所を

電車が通過するところに行きあたった。


ヘッドライトとテールランプがはるかかなたまで続いている。

その風景というのは、もちろん毎日見ているから

普段は慣れてしまっていて、何のこともなく見過ごしている。


しかし、この時は違った。

その見える風景がなんとも言えない湿り気を持った、

ちょっとマヒするような甘さの質感を持っていた。

こういう感覚というのは普段のガサついた生活の中では、まずない。

仕事に追われているからだろう。

思い出というのは、こういう気分にも浸らせてくれるんだと思う。

この時の登山がなんだかやたら苦しいものだったから

余計にそう感じられるのだろう。


この縦走は、準備段階からいろいろとあった。

とにかくアルプス系の山を登るのがはじめてだから、

ザックもハイキング用しかない。

テントで行こうということになっているから、

それなりの容量が必要だ。


皆初めてだから何も持っていない。

それじゃ、お茶の水に買いに行こうということになった。

一緒に行く、大のおとな4人で行った。


ザックを買う時、迷った。

店オリジナルのザックは安い。

しかし、その横にカリマーと書いたザックがある。

これはイタリア製で、山やの中では名が通っている。

いわゆるザックの中でもビックNameだ。

しかし、先立つものを考えると、

安いザックにしようか、どうしようか、迷いに迷った。


結局、表示容量以上に詰めれば入ると言う

店員さんの言葉でカリマーを買った。

濃い赤でえんじ色に近い色にした。

遭難したときに見つけてもらいやすいかなという、

なんだかネガティブな気分で決めた。

遭難すれば発見されるまでにお陀仏って気もするが・・・。


その向こうでは一番若い一人が、

店オリジナルを買っていた。

そして彼は、後々まで、一人このオリジナルを買ったことを後悔する。

後悔するというより癪にさわっていたというところか。


我々もオリジナルを買うと思って買ったと言っていた。

直前までそのように話していたと、くり返し言っていた。

そうかなあとトボケ続けてすでに20年だ。


彼のザックも今は2代目だ。

2代目はなんとミレーだ!。

これは山のザックのスター的存在だ。

アイドルザックといってもいいかもしれない。

デザイン色合い垢抜けている。

なんといってもフランス製だ。

このミレーのザックを目の前に置かれると、

なんとなく、あの時の怨念がこもっていそうで、

ザックの話しには深入りしないようにしている。

ま、一緒に山に登った楽しい仲間だ。


前の日になって、新宿にカメラ道具を買いに行った。

フィルム、フィルターなどだ。

初めてのアルプス登山。

カメラはキヤノンニューF1。

レンズは、35-70ミり、80-200ミリ。

そして三脚。

フィルムはエクタクローム。

なんとリバーサルフィルムだ。

ネガじゃなくリバーサルにしたのは、

それだけ気分は高揚していたということだ。

リバーサルは、この時初めて使おうと決心したのだ。

フィルターは、PLフィルターを買った。

山の光は強いから、

その光を軽減するためにも必要だと考えた。

品ぞろえだけはプロ仕様になった。

このカメラでアルプスの風景を撮りまくるつもりでいた。


買い物をする行き帰りも、

なんとなく明日出発と思うと背スジが伸びて、早歩きになる。

トレーニング代わりのつもりになる。

そのくらい歩いても何のトレーニングにもならないのだが、

気持ちに少し高揚感がある。

トレーニング替わりだと階段は走って登る。

買い物をしていても楽しかった。

なんとも言えない新鮮な気分にあふれていた。


買い物から帰ってきていよいよ荷づくりだ。

この時の荷づくりは、今でもおかしくて笑ってしまう。


日本アルプスの山に登るというのに、

バスタオル、手ぬぐい2枚、毎日の下着の替え、バター箱ごと、

洗面用具一式・・・。

歯磨きのチューブなんか使うわけないのに・・・。

知らないということはなんとも恐ろしい・・・。

パンは日数よりかなり多め、カンヅメいろいろなどなどだ。

酒のつまみ少々・・・。

Tシャツの着替えも日数分。

アルプス登山をしてる人からは、

「お前、どこへ行く気でいるんじゃ・・・」

と、いきなり言われそうなザックの大きさだった。

観光地に行くのとたいしてかわりがない。


とにかく詰めに詰め込んで、

カリマーのザックに押し込んだ。

ショップの店員さんの言った通り、

1.5倍は入った。

背負ってみておどろいた。

持ち上がらない…。

一人だとザックを背負って座ると、

立ち上がることが出来ない・・・。

我が奥さんに手伝ってもらわないと持ち上げられない・・・。

この状況に当然、奥さんは大笑いだ・・・。

「笑うんじゃない!こら!」と声を荒げながらも内心は・・・、

「ちょっとやばいかぁ・・・これは」

と、思っても知らないということは恐ろしいことで、

「ま、いいか・・・」と、この状況を軽く流してしまった。

重いなと思っても、登山する時の深刻さはわからない。

なにしろ初めてのアルプス登山なのだ。

結局そのまま出発した。


しかし、山のザックというのはたいしたもので、

駅の階段の昇り降りで重さというものをあまり感じない。

かえって平らな道路を歩いているより楽なくらいだ。

軽い感動を交えながら、

(これなら大丈夫そうだ・・・)と、思ってしまった。


出発の日。

大きいザックを背負って電車に乗ると、周りの人の目が気になる。

こんな大きな荷物を背負ってどうするんだろうと見られている気がする。

周りの状況からは、型抜きされたように確実に浮いているのだ。


坐っていても、はやく目的の駅に着かないかなと気がせいている。

浮いている自分を、なんとか早く開放したいと思うのだ。

実際は、誰もたいしてなんとも思ってはいないのだが…。

はじめてそんなスタイルになった時の初々しい自分だ。

登山も経験を積んで後になるほど、

ザックを目立つように置くから、いやはやなんともだ・・・。


集合したのは、新宿のアルプス広場だった。   =つづく=






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