=ギターエッセイ=

     ここに連載するエッセイは50年以上前に書かれた、
    著名な音楽評論家によって書かれたエッセイです。
    読み応えのあるエッセイなので、
    何回かに分けて掲載していきます。

(1)(2)
=ギターと私(三)=
 回り道がひどく長くなったが、

サルがボーで聴いたセゴビアの「音」は、

私の心を一挙に揺さぶってしまった、

と、言ってもかまわないのである。

あるいは、ー多少の誇張を許していただけるならばー、

音楽における「音色」というものが、

それだけでこんなにも豊かな表現の道具と、

なりえるのだということを、

私ははじめて知ったといってもよい。

これが啓示でなくて何であろう。

 セゴヴィアの演奏が私に教えてくれたのは、

もちろん音色という限られた、

そして閉ざされた世界ではない。

それは、あるいはそれ以上に、

リズムの魔術であったともいえるだろう。

演奏における音色という概念が、

リズムやダイナミックなどの要素とは無関係に、

孤立した機能として働くものかどうかは別として、

ーわたしはそうは思わないー

その時に、演奏家が作り出すリズム的世界の、

精妙な魅力に酔ったのである。

精妙さという言葉を、私は図らずもここで使ったのだが、

ギターという楽器に私が求めているものは、

恐らくこの言葉によって、

一番よく言い表すことができるのではないか。

精妙さこそ、この楽器に、

あるいは、この楽器の演奏者に求められる、

最大の美徳なのであるまいか、

と私は常に考えている。

しかも、そればかりではなくて、

ギター以外のあらゆる楽器、演奏者に対して、

同じような世界、同じような美徳を求めるという習慣が、

知らず知らずの間に、

わたしの中に出来上がっていることを私は知っている。

そしてそのような習慣は、ことによったら、

セゴヴィアのギターを聴いたあの日に、

わたしの中に生まれたものなのではないだろうか。

わたしは時々そう自問してみることがある。=つづく=


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