=マテーオ・カルカッシ=


     

=今回のカルカッシの記事は、
  56年前の記事を、興味深く転載しました=



 1836年初めて故国に錦を飾り、

非常な歓待を受けた。

その後の彼の演奏活動は極めて広範囲にわたり、

ついにパリを永住の地と定めて、

1853年、1月16日同地で逝いた。

彼の愛好したギターはもっとも麗しい技術を施した、

イタリア製のもので、

高音部のフレットは表面板上に嵌められたものであるという。

 ここでこの機に言及しておきたいことは、

カルカッシに対する一般の認識の非常に浅いことである。

にも拘らず相当数の人がこれを軽んじて顧みない一時は、

ギター界のために嘆かわしい。

本邦で最も親しまれてるのは、

その教則本と「ルッソーの夢」くらいであるが、

単に25の練習曲集だけを採り上げても、

時代のこだわりはあるにしても、

今日これだけの力量を備えた人が、

我々の仲間にあるであろうか。

而も日本にそれらしいギターの技法が導入されたのは、

アメリカのホワイト・スミス版の英語書からで、

直接間接に研究を補助したことは、

なんとしても大きいと言わねばならない。

あたかもピアノにおけるバイエル、ツェルニーのごとく、

この世界はあまねく直接間接にその恩恵に浴している。

<つづく>


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