That エッセイ once again

                              


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                当教室に在籍して早18年。
                  アンサンブルにも参加して元気にギター弾いている。
                   マダムにギターを始めたころの思い出を、
                    以前語っていただきました。
                      今回再び掲載したいと思います
                         大陸育ちのお話は興味が尽きない。
                          もう一度詳しくお話していただき、
                            加筆しながら紹介したいと思います。
                              かなり貴重なお話であり、
                              歴史の証言の意味合いもあります。


      
=ギターを弾こう(十九)=

 第一回目のレッスンを終わり、

次の週も満員電車にギターと共に突撃して、

会社の帰りにギター講座に通いました。

 会社では女子更衣室でよく練習をしました。

そのせいなのか会社中にギターを弾く女子ということで、

かなり有名になってしまいました。

このころ女子でギターを弾くというのはそうはない時代です。

だいたいはお花とかお茶とかが女子のお稽古事です。

たとえたどたどしくてもギターを弾いている女子ということで、

ちょっとした有名人でしたね。

 ギターを弾いてるといろいろな思いがよぎりました。

一番つらかったことは、ようやく日本の本土に引き上げてきて、

ホッとしたところで結局、私たちには両親がいないということで、

兄弟姉妹がバラバラになったことですね。

どうも私たち兄弟姉妹が引き上げてくるときには、

親戚縁者の間ですでに話し合いがもたれていて、

決められていたようです。

 父親の親族は、アメリカ軍のB29爆撃機の広島への原爆投下で、

全滅してしまってました。

どうにもならないですよね。

唯一生き残っていたのが父親の甥でした。

直接の繋がりはなかったのですが、

預かってくれるということで弟はこの人のところへ引き取られました。

高校を出るところまでよく面倒を見てくれたそうです。

その後、兄がシベリアから戻ってきたので、

兄のところへと引き取られました

 この兄がシベリアでどうしてるか、

母はいろんな占い師に見てもらったんですね。

しかし、すべての占い師が兄は死んでいるというご宣託です。

母は哀れなくらいがっかりしてました。

見た目にもなんだか可哀そうなくらい落胆してましたね。

ところがその後、兄はシベリアから帰ってきたのです。

しかし、この時母はすでに亡くなっていて、

そのことを知るすべもありませんでした。

そんなことがあって私は占いというものを一切信じなくなりましたよ。

引き揚げてきた兄に引き取られて弟は大学に入学しました。

ところが入学して間もなく交通事故で頭を打ったかなんかで、

死んでしまいました。

ほんとに突然の死で驚きました。

あまりのことに父や母が呼んだんじゃないかって話が出ましたね。

二十歳になるかならないかの早すぎる死でした。

 二番目の姉は許嫁の家に引き取られていきました。

旦那さんになる人はシベリアから、

この時は帰ってはきていなかったのですが、

強引にということでもないですが許嫁の家の方が引き取っていきました。

その後、許嫁の方はシベリアから無事に帰還しました。

 私はといえば母の親戚の方が婿に入っていた家に引き取られました。

この婿の方は硫黄島ですでに戦死していましたが、

引き取るということでこの家へ引き取られたのです。

ここでお花、お茶など当時の嫁入りに必要なことはしっかり教わりました。

お嫁さんに出されそうになってそれがどうしてもいやで、

東京の姉のところへ逃げてしまいましたが、

ほんと感謝にしてもしきれないですね。

東京に出てきて、

就職してギターを習うまでになったのはほんと幸運でしたよ。
=つづく=


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