>アンサンブルヴェルデ
結成回想録②<
アンサンブルを発表会の時にプログラムに入れるということは、
結構普通に出てくる発想ではあった。
しかし、発表会が終わってしまえばそれで終わり・・・。
次のことはまた次の発表会で考えるという状態。
特に発展性はなかった・・・。
ただ発表会の場所を移してからは結構参加する人数は増えていった。
当初の発表会の場所が使えなくなることがわかってからは、
発表会自体をどこで開催するかのほうが大問題という感じだった。
これはやばいなと思っていたところ、
用賀にあるスタジオで出来ることが分かった。
このころは特に参加人数が増えるということもなく、
毎回同じような人数で開催していた。
ただアンサンブルに参加する人の数は増えていった。
独奏以外にもこんな世界があるというのが物珍しかったのかもしれない。
独奏以外にも結構な人数が集まって演奏するというのは、
ギターのいいところだと思う。
アンサンブルに関しては第一回目の発表会から取り入れてはいた。
ただ曲のレベルはそう簡単にはレベルアップはしなかったと思う。
初級、中級がほとんどであまり弾ける人はいなかった。
発表会の場所を移動してからは明らかに参加人数は増えていった。
その中でもアンサンブルの経験のある人などがいて、
指揮を担当してもらったりした。
結構な人数で指揮なしで演奏すると、
ファーストとサードでズレていってしまい、
最後は収拾がつかなくなるということがあり、
とにかく指揮棒を振る人が必要だなということで、
比較的経験のある人が交代で前に立って指揮棒を振った。
参加するほとんどの人はアンサンブルの経験はないわけですから、
サードの音が聞こえないということになれば大変なことになるんですね。
指揮棒を振ることによって形にはなっていったと思う。
クラシカルな曲というのはこのころはハードルが高く、
分かりやすいポピュラーな曲を演奏していたと思う。
一人一人の独奏を弾くレベルも低かったので、
それなりのアンサンブルではあった気がする。=つづく=
>30年くらい前の発表会だと思う。記録がないので詳しくは分からない<
>アンサンブルの経験のある人が指揮をしていた<
>大人数のアンサンブルの時は、各パートに弾ける人に入ってもらった<
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