>アンサンブルヴェルデ
                結成回想録⑩<

                 



 1996年、神奈川ギターフェスティバルの参加のあとに、

日本合奏フェスティバルにも参加した。

神奈川ギターフェスティバルでの演奏の成功で、

勢いがついていた。

その勢いそのままに参加しよう、となった

 このフェスティバルには、このときがはじめての参加だった。

日本合奏フェスティバルも始まったばかりだったと思う。

この時の出演でこれ以後のヴェルデの方向性が決定したと思う。

とにかく外に向かって出ていこう・・・というふうに!!

 曲目は、神奈川ギターフェスティバルの時と全く同じで、

「とにかくがんばろー!!」が合言葉だった。

このようなフェスティバルに参加するというのはこの時が初めてであり、

メンバーの誰も経験があるわけでもない。

神奈川ギターフェスティバルに参加したという勢いだけで出演した。

しかし、残念なことに神奈川ギターフェスティバルに参加した時の一人のメンバーが、

この時、不参加となってしまった。

どういう状況だったのかは覚えていないですが、

ご結婚を控えていたのかもしれない・・・。

そのせいもあってメンバーはなんと五人・・・。

ちょっとどころか、かなり心もとない、

アンサンブルの経験があった一人が抜けてしまったので、

大幅な戦力ダウンとなってしまった。

こりゃあ、指揮してる場合じゃないですよ。

抜けたパートをうめるべく今度は、指揮棒を投げうってギターを抱えて参加。

幸い神奈川ギターフェスティバルの時と同じ曲だったので、

指揮なしでも特に不安なことはなかった。

念のためこの時は、出発する前にあざみ野ホールで練習をしてから出発した。

今練習をしているBホールではなく、Aホールでしたね。

もう一つ大きな変化がこの時にはあって、

神奈川の時には譜面台にじかに譜面を乗せていたのですが、

(もう少しなんとかするか・・・)と、

今使っている緑色の譜面版を手作りした。

この時は、予備に一枚多く七枚を手作りしたと思う。

まあ、少しカッコをつけたということですね。

この後、随時メンバーが増えるごとに作って、今の枚数になりました。

まあ、エネルギーだけはありましたね。

 この時の演奏会場がどこにあったかも今となっては覚えていない。

 会場について控室に入ってもとにかく練習をした。

ただこのころはまだチューナーがなかったので、

一本一本慎重に調弦をした。

調弦にかなりの時間を要したが、

まあ、今までにない真剣さで練習をしたという記憶がある。

しかし、いざ舞台に出るときは、なんともいえない緊張感はあった。

神奈川フェスティバルの時よりステージも広く、

なんだか分からない圧迫感があった・・・。

「とにかく落ち着いていこう!」と声をかけてステージに出ていった。

緊張しながらも、破綻することもなくステージから戻ってくると、

「よかったぁ~~~!!」と皆で大喜びをした。

まあ、実際の演奏がどうであったかは今となっては分からない。

この時にビデオの販売があったかどうかも覚えていない。

DVDなどなかった時代です。

かろうじて写真だけが残っていた。

勢いそのままに、このアンサンブルヴェルデで、

この年の秋のアルペジオコンサートにも出演した。

この1996年で常設ギターアンサンブル「アンサンブルヴェルデ」が確定した。


初期の時は、「重奏フェスティバル」も同時開催だったんですね。



演奏した曲がどういう曲だったかいまいち思い出せない。今や譜面も行方不明状態だ。
メンバーの方たちがほんと懐かしいです。
一番最初に「アンサンブルヴェルデ」としてステージに立ったメンバーです。



少しでも練習した方がいいということで、
あざみ野ホールAで練習して行きましたね。



会場の控室でも練習しましたが少し緊張してた感じです。



懐かしいメンバーの写真ですね・・・。
自分も含めて、みんな若かった。



今も使われている、ヴェルデの緑の手作り譜面版を使っての初めての参加でした。
まだ、プライムギターだけのアンサンブルでしたね。


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