宮尾さんの

      ジャムって語ろう、ジャズ




                    
                       宮尾聖晴氏









 −ニューヨークジャズクラブ体験記−




さてハーフノートの近くにはロイ・エルドリッジというスイング時代に活躍した、

黒人の名トランペッターが常時演奏しているジミーライアンというクラブがあります。

かれはベニー・グッドマン、カウント・べーシー、
JATPといった有名バンドで大活躍した人で、

1953年にはJATPの一員として初来日、

64年には私も見にいきましたが、

歌手エラ・フィツジェラルドの伴奏で二度目の来日を果たしています。

是非一度いかねばと思っていたところ、

ちょうどジャズ好きな友人が出張してきたので、さそっていってみました。

驚いたことに!

金曜というのに店はがらがらでちょと寂しい雰囲気でしたが、演奏のほうは十分堪能できました。

当時すでに彼は60歳をこえていましたので音色の衰えは隠せませんでしたが、

I Found A New Babyなど達者なプレイを聞かせてくれました。

演奏の合い間に話しかける機会をみつけ彼に「日本に来た時、見にいったよ」と言うと、

えらく感激して固く握手してくれました。

彼いわくジャズは、今やアメリカより日本やヨーロッパのほうが人気あるんだよとのこと、

そんなもんかなーと思いつつ、

客席がすいていたのでリクエストを連発、

まるで我々のためのショーという雰囲気になってしまいました。

ついでにめったに見られないボーカルも聞かせてくれましたが、

これが枯れた味ですばらしく、まだ耳に残っています。

 

しばらくしてグリーンニッチビレッジにあるビレッジ・バンガードという、

超名門ジャズクラブにもいってみました。

そこはソニー・ロリンズやビル・エバンスなどのライブ版レコードでも有名なところです。

何とその日はあの超大物べーシスト、チャーリー・ミンガスの出演日という幸運。

実にエキサイティングな演奏を聞かせてくれました。

レコードは前衛的なものが多いミンガスですが、

その日は判りやすい
Take The A-Trainなどのスタンダード物中心で多いに楽しめました。

最後の演奏までねばって聞いていたため帰りはまさに
Subway Take The Shue(終)-Train

あの頃のニューヨークの地下鉄は危険がいっぱい、

変な乗客ばかりでこちらも相当スリリングだったことを覚えてます。

それからしばらくしてミンガスは他界したので、

本当にラストチャンスでよかったと思っています。

 

その後家族がきましたのでしばらくはジャズライブともお別れ、

家内が慣れてきてからは、

もっぱらミュージカルの鑑賞やポピュラー歌手のライブコンサートに方針変更しました。

足を向けたライブはペリー・コモ、レイ・チャールス、

ライザ・ミネリ、ポール・アンカ、バリーマニローなどです。

ペリーコモは歌は当然すばらしかったが、もとはといえば床屋さんだったこともあり、

演奏の合間に年配の女性フアンから、

盛んにペリーちゃん私の髪きってちょうだい!のような黄色い?声があがってました。

そこは例のスマートさでさらりとかわし、うまくその場をなごませていました。さすが!でしたね。

ライザミネリのショーは別の意味で圧巻でした。

すばらしいダンスあり、歌あり、芝居ありで、

家内はあれから20年以上たっても感激は忘れられないといっています。

ところで、ミュージカルもいろいろいきましたが、

問題は英語が難しくストリーがよくわからないという点です(オペラよりはましですが)。

そこで、出来る限りわかりやすい物をえらんでいきました。

ユールブリンナー主演の王様と私が一番わかりやすく良かった記憶があります。







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