宮尾さんの

      ジャムって語ろう、ジャズ




   






    プロローグ

 

ギター教室の皆様にはギターと直接関係ない話で恐縮ですが、

私の趣味であるジャズにまつわる話をさせていただきたいと思います

。先生から教室にはジャズファンの方が結構いらっしゃるとお聞きしましたが、

クラシックギター教室ですから当然クラシックファンの方々が圧倒的ではないかと想像しております。

ただジャンルは別として、

音楽好きという点では皆様とわかちあえるものがあると思いますので、お許し願いたく思います。

またジャズファンの方、特に往年のファンの方はおそらく私と同じような経験をされているのではと思いますので、

お時間あればご一緒にライブでもいけたら、

また昔話に花をさかせるのも良いかなと勝手に思う次第です。

 

さて私は自分で言うのもなんですが、相当なジャズやポピュラーソングおたくです。

レコード、CD、ビデオカセット、ラジオのエアチェックテープ、関連音楽関係の資料、

好きな曲の楽譜等のコレクションを重ね、今やそれらで一つの部屋がうまっている状態です。

我が家はすでに私自身の居場所がなくなりつつあります。

 

特にそのなかでもジャズが一番好きな分野で、私にとってなくてはならない存在となっています。

聞き初めてから、50年近くもたってますが、奥が深いだけに、まったくあきることがありません。

ジャズといっても巾広くいろいろなジャンルがありますが、

私は無謀にもそのほとんどすべて(ただ最近のヒップホップものはついていけませんが)に興味があるので,

時間がいくらあっても足りません。

野村教室の行き返りの車の運転もジャズの
CD、MDを聞きながらの、ながら族です。

 

−ポピュラー音楽との出会い、それはテネシーワルツ−

私がそもそもジャズ、というよりアメリカンポピュラーソングに興味をもったのは小学校の6年のときでした。

ラジオから流れる江利チェミの歌を聞いたことがきっかけでした。

(年がばれますね)彼女の歌う
Tennessee Waltz, Come On A My Houseなど、

学校で習っていた曲にはない何か心にジンと残るものがあり、

毎日学校から帰るとラジオをつけて音楽番組ばかり聴くようになりました。

(そういえば昨年発表会でTennessee Waltzを演奏しました、これもなにかの縁ですかね。

それにしても大舞台ではうまくいきませんでしたが、

思い出の曲でもありこれからもレパトリーとして大事にしてゆきたいと思ってます。)    

当時日本ではジャズブームが到来、−といってもポピュラーソング、ラテン、カントリー、

さらには服部良一のバタ臭い曲、なんかもみんなジャズといわれていた時代ですが−

歌手もチエミをはじめとして雪村いずみ、ペギー葉山、柳沢真一、

旗照夫、黒田美治といった逸材が次から次と出現、

司会はトニー谷、ロイジェームスがしきり、ラジオはその種の番組で花盛りでした。

あの美空ひばりまでジャズを上手に歌っていた時代です(彼女のスターダストは絶品)。

わたしも耳からの丸覚え英語で意味わからにままいいろいろな曲を口ずさんでいたような記憶があります.

 

さて中学3年になると、ちまたでエルビス・プレスリーが話題になりだしました。

たまたまラッキーにも叔父がもっていたレコードのなかにプレスリーのハートブレイクホテルがあり、

聴くチャンスに恵まれました。

まさに強烈なショックで鳥肌状態。

その後はこずかいつぎ込みプレスリーのレコード(当時
SPEP盤)をすべて買いあさりました。

それを機に受験勉強そっちのけでビル・ヘイリー、バディー・ホリー、

リッキー・ネルソン、ボビー・ダーリンといった白人中心のロックンローラーの歌にのめりこみました。

日本では放送されない曲は
FENのビルボードのヒットパレードものなどを熱心に聞き、

怪しいヒアリングながら英語の題名や歌詞の書き取りなどに没頭しました。

学校の英語は大嫌いでしたがこちらは苦にならなかったから不思議ですね。

今から考えると良い勉強になったような気がします。

 

−ジャズとの出会いそれは米軍キャンプでのバイト−(以下次号へ、乞うご期待!)





      メニューへ







       topへ