That エッセイ once again

                               

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当教室に在籍して早18年。
                     アンサンブルにも参加して元気にギター弾いている。
                      マダムにギターを始めたころの思い出を、
                       以前語っていただきました。
                        今回再び掲載したいと思います
                           大陸育ちのお話は興味が尽きない。
                            もう一度詳しくお話していただき、
                             加筆しながら紹介したいと思います。
                               かなり貴重なお話であり、
                               歴史の証言の意味合いもあります。



       
=満州時代の思い出(七)=

 列車は漆黒の闇の中を錦州の収容所に向かったひた走ります。

列車の走る音を聞いているといろんなことが頭をめぐりました。

いざ引き上げだというときの慌ただしさ・・・。

馬さんの親切はほんと身に沁みました。

引き上げの時も最後の最後まで、

「この人たちを頼みますよ。無事に送り届けてくださいよ」と、

自治会長に最後まで頼んでくれました。

両親も亡くなり、兄も行方知れずの我々弟姉妹が、

無事に引き上げてこれたのも、

この馬さんの言葉が大きくものをいったと思います。

共産軍に敗れた後、無事に台湾に逃れたでしょうか・・・。

 同級生の中でも随分明暗が分かれました。

満鉄の宿舎に住んでいた友達は、

終戦と同時に身一つで退去させられました。

いきなり退去させられても行くところがありません。

あちこちに離散していきました。

親が軍関係の生徒たちは終戦の声を聞く前に、

逃げて行ってしまいました。

それでも我々は都会に住んでいたのでずいぶんラッキーでした。

わたしとは直接知り合いはいませんでしたが、

チチハル、黒竜江省にいた開拓団の人たちの引き上げが,

どのくらい困難を極めたか想像するだけでゾッとしますね。

国策で多くの農家の次男三男の方が渡ったと思いますが、

戦争に負けてもなんの保護も受けることができなかったと思います。

なんともひどい話ですね。

 列車は錦州の日本人収容所に深夜到着しました。

到着したところから収容所までは徒歩です。

真っ暗な中一糸乱れず隊列を組んで歩いていきました。

真っ暗な中案内の人はよく道を間違えないもんだと不思議でした。

妹はこの時、肺浸潤に侵されていて苦しそうでした。

なんだかよく分からない薬は一応飲んでました。

この時のことでそれがどんな薬かよく分かりませんでした。

骨と皮ばかりに痩せてしまって、

生きて帰ってこられたのが不思議なくらいです。

この時は病気になると重症化するんですね。

特に肺結核は恐ろしく、

かかるとすぐに死んでしまいます。

同級生の中にも死んだ人がいたようです。

妹は一歩手前の状況で辛くも生きて帰ってこられました。

 ここでもソ連の兵隊は怖くて、

収容所から若い娘をさらっては強姦してました。

若い娘を見ると収容所の中に入ってきてさらうんですね。

何人かで強姦するとぽいと捨てていきます。

犬猫並みの扱いでしたね。

皆が見てる前でも平気で強姦するんですよね。

ソ連兵は怖かったです。

姉たちは収容所の建物から極力出ないように気を付けてました。

なんとか無事に帰国することができましたけどね。

馬賊、匪賊もいたるところで出没していて、

襲われれば終わりという感じでしたね。

 子供のころ馬賊が捕まって,

交番へ連れていかれるのを見たことがあります。

弟と見ていたのですが、水攻めでしたね。

馬賊、匪賊は毛沢東の八路軍と関係があると言われていたので、

拷問も過酷でしたね。

 とにかくなんとか錦州の日本人収容所に到着です。

そこでの生活もなかなか大変なものがありました。
=つづく=


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