That エッセイ once again
(一) (二) (三) (四) (五)
当教室に在籍して早18年。
アンサンブルにも参加して元気にギター弾いている。
マダムにギターを始めたころの思い出を、
以前語っていただきました。
今回再び掲載したいと思います
大陸育ちのお話は興味が尽きない。
もう一度詳しくお話していただき、
加筆しながら紹介したいと思います。
かなり貴重なお話であり、
歴史の証言の意味合いもあります。
=満州時代の思い出(六)=
とにかく身の回りのものだけをリュックに詰めて奉天の駅に向かいました。
市内の写っている写真を持っていると危険だということで、
すべて焼いてしまいました。
両親の遺骨は姉二人が骨壺を白い布でくるんで首からかけて運びます。
持ってみるとビックリするくらい重いんですね。
若い女性の首にはかなりの負担だったと思いますが、
とにかく内地に両親のお骨を運ぼうという姉たちの執念だったと思います。
日本に上陸するまで肌身離さず持って帰っていきました。
奉天の駅についてみるとものすごい数の人が集まってます。
町会単位だと思いますが千人くらいの単位で集まってました。
呼び方も軍隊並みで中隊、小隊という感じでした。
そうこうしているうちに列車が駅に入ってきます。
ものすごい人数の人が列をなして乗り込んでいきます。
大河の流れのように人が移動していきます。
今、長い行列をテレビで映してることがありますが、
そんなもんではありません。
ちょっと今の方には想像できない光景だと思います。
しばらくするといよいよ我々が乗り込む番になりました。
乗り込む列車を見てびっくりです。
屋根もない貨物用の貨車でした。
石炭を積んで走る貨物列車を想像してもらえるとわかると思います。
そこに隙間もなく人が詰め込まれてかたい木の床に座っていきます。
足を伸ばすスペースはなく膝を曲げて縮こまる感じです。
ホントに隙間なく人を乗せていきます。
どの貨車も同じような状況だったと思います。
夕闇迫る中いよいよ出発です。
どのような山賊に襲われるかもわからないということで、
夜の闇の中を走ります。
走りだせば中国大陸の原野を走ることになります。
山賊などに用心してライトその他は一切なしです。
真っ暗な中を走っていきます。
空は曇り空。
走りだしたときは夕暮れでしたが夕闇はどんどん迫ってきます。
声を出す人もなくビックリするくらいの静寂があたりを覆ってました。
弱り目に祟り目なんと雨が降ってきました。
雨が降ってきても身動きすらできません。
傘をさすと落ちる雨粒が冷たいと叱られます。
床が雨に濡れていきます。
我々兄弟は粗末な合羽を持っていました。
とにかくそれを着こんで冷たい雨を防ぎます。
大陸の雨は冷たいですよ。
大陸の原野は人家も全くなく灯りというものも全く見当たりません。
真っ暗闇の中を列車の走る音だけが響いてました。
すると突然一人の女性が泣き出しました。
そばにいる旦那さんでしょうか、一生懸命なだめると、
今度は甲高い声で笑いだしました、
なをも旦那さんはなだめます。
しかし、奇声を発して立ち上がろうとしたりで、
なかなか収まりませんでした。
そばには若い男性と女性が座っているのですが、
多分その方たちの息子さん夫婦だったと思います。
考えてみればこの方たちは、
有名なパン屋さんの次男か三男だったと思います。
大陸に渡ってきて大成功した方たちです。
飛ぶ鳥を落とす勢いだったと思います。
それがある日すべてを失っての引き上げ・・・。
敗戦前までは日本人と言えば列車に乗るときはすべて一等車。
どこに行っても特別待遇です。
中国人と言えば列車は三等車かそれ以下・・・。
中国人に対しては常に見下したような会話でした。
それが突然天地がひっくり返ってしまったのです。
びくびくしながらの屋根もない貨物列車での逃避行。
みじめ以下の境遇に落ちてしまった、
大成功したこの方たちの心境は想像を絶するものがあると思います。
この状況にどうもおかしくなってしまったようです。
この話には後日談があります。
姉が銀座だったかな・・・。
パン屋さんに入るとこの時に一緒に乗っていた、
この方たちの若奥さんと再会したということです。
ホントに懐かしかったということです。
この話を聞いた時は、
こんなこともあるんだなぁ‥とビックリしました=つづく=
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