That エッセイ once again

                              


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                当教室に在籍して早18年。
                  アンサンブルにも参加して元気にギター弾いている。
                   マダムにギターを始めたころの思い出を、
                    以前語っていただきました。
                      今回再び掲載したいと思います
                         大陸育ちのお話は興味が尽きない。
                          もう一度詳しくお話していただき、
                            加筆しながら紹介したいと思います。
                              かなり貴重なお話であり、
                              歴史の証言の意味合いもあります。


       
=満州時代の思い出(十一)=

 博多湾に入っても船は海上に止まったままでなかなか接岸されませんでした。

船の上でボーっとしてると終戦の時のことがいろいろ思い出されます。

いよいよ日本が戦争に負けたとなった時の回りの大人の人の反応のいろいろ・・・。

まあ、それにしても馬さん存在が我々兄弟には大きかったですね。

繰り返し町内会長に我々には親がいないということを訴えてくれて、

「お願いしますよ」と引き上げるギリギリまで頼んでくれました。

そのおかげでずいぶん優遇してもらえたと思います。

ただ、両親の骨壺に関しては回りからいろいろ言われました。

ほとんどの人が亡くなった身内のお骨というのは、

持ち帰ることができなかったんですね。

持ち帰ったとしても骨の一部だとか、

爪とは遺髪つくらいなんですよね。

ところが我々は姉二人の首には、

両親の骨壺がそのまま下げられていたんです。

これを見た人がなんだかんだと責めるわけですよ。

自分たちは持ち帰りたくてもできなかったのになんだ!

という強い言葉で言ってくるわけです。

確かになかなか遺骨も持ち帰るのもままならなかった方たちにとっては、

我々の姉たちの首に骨壺が下げられてるのを見れば、

やっかむ気持ちと言いようのない怒りみたいのが湧くんだと思います。

なんとも切ない話ですよね。

 終戦の8月15日の前の日。

姉の許嫁の方は陸軍の航空隊にいたんですが、

8月14日だと思いますが特攻に飛び立ったんですね。

4機か5機くらいで攻撃に向かったそうです。

ところがすぐに引き返せとの連絡が入ったそうです。

うすうすながら終戦が近いことは皆感じていたようです。

そこで引き返せの命令が来て、

いよその時が来たということを悟ったのか、

一緒に飛び立った2機が自爆をしたそうです。

許嫁の方は引き返して8月15日、終戦となって、

その後しばらくして我が家を訪ねてきました。

母は非常に喜んでましたね。

ソ連兵が町に入ってきて非常に怖い思いをしていたので、

家に男の人がいるというのはかなりの防御になったわけです。

しばらくしてから所属していた隊から帰れという命令が来たんですね。

そこで帰っていったわけですが、

そのあとシベリアへ連れて行かれたんですね。

 シベリアでの生活は厳しいという言葉では、

とても表現しきれなかったようです。

シベリアの収容所には兵隊以外にも、

かなりの民間人も収容されている人がいたんですね。

兵隊さんたちは訓練を受けて体も頑丈だったので、

まだ生きることはできたようです。

それでもずいぶん犠牲になってるんですが、

民間人というかそれ以外に人たちは、

寒さと飢えでバタバタ死んでいったそうです。

マイナス30度、40度の中で粗末な食事、衣類、

極限の状況に置かれれば、

とても普通の人は生き残るのは不可能ですよね。

手などは凍傷になって紫色に変色して、

見るも無残な状態になったようです。

次々に凍傷にかかってひどくなってくると臭いがしてくるんだそうです。

今の人たちには想像もできないひどい状態になっていたようですよ。

許嫁の方は陸軍士官学校を出ていて、

ロシア語の勉強をしていて通訳をしたそうです。

そうなるとがぜん待遇が違ってきて、

ソ連の兵隊から食べ物の差し入れがあったり、

けっこういいものを食べられたようです。

許嫁の方は終戦後2年くらいで帰ってきましたよ。

馬さんはどうしたかなと思います。

馬さんにはほんとにお世話になったので、

共産軍に敗れて台湾に無事に逃げられたでしょうか。

今になってもそのことが気にかかるんですね。
=つづく=


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