譜面台の陰から

   >演奏するということ<

 今回、ギターを演奏するということを、

少し掘り下げて考えてみたい。

ギターに限らず楽器を演奏するという行為について、

これは大きく分けて二つのことがプラスされて、

形になっていくものだと思う。

ひとつは人間の脳の中にある、

ものを分析して読み取る能力。

これは楽譜という記号というか暗号というか、

そのもの自体には何の意味もないのですが、

そこには長さと高さの情報が記されている。

いわゆる横と縦の情報だ。

このままでは全く意味をなさない記号を、

ひとつひとつつなぐ作業を脳の中で行って、

始めて一つのメロディーに完成する。

そこに複数の音符を縦に重ねるとハーモニーになる。

ここまでだと単に音をつないだ状態でしかない。

ここから感覚知を発揮して今つないだメロディーが、

どういうメロディーかを吟味する。

そこからが一人一人の感性の違いが発揮されることとなる。

楽譜に書かれている情報は同じで基本的に変化はしない。

しかし、人間には完成という言葉にしがたいものが、

一人一人持たされている。

これによって同じメロディーでも、

人によって現れる雰囲気は違ってくる。

では、この感覚を具体化された状態を人前で演奏する。

これは楽譜を紡いでいく行為とは全く共通項はないと言える。

これはいかに小さな会場でまた大きな会場で、

演奏して楽器から出す音楽を聴いている人に伝えるか。

ここで大きく重要になってくるのが、

頭に描く情景を具体化する能力ということになる。

いかに舞台で演奏する自分を映像化できるのか。

今自分が練習し演奏している音楽を、

いかに映像化された会場の中でしっかり演奏できるのか、

メロディーというのは感覚でしかない以上、

手を広げて、ふうてんの寅さんのように、

ものとして陳列することはできない。

あくまで脳の中で紡いだ感覚でしかない。

この形として見ることのできないものを、

いかに目の前にいる人に伝えるのか。

これは二つのこと、

すなわち感覚と映像を、

どれだけ自分の中にマッチさせることができるのか。

いかに楽器を奏でて、

今のこの曲を伝えるべき演奏をするか。

人間は指先や体を使って、

何かを作り上げていける動物だと思う。

しかし、それをその自分のイメージの中だけで、

あっさり終わらせてしまうのか、

人間はそれを伝えるということをできる動物でもある。

そしてその伝える場をイメージできる動物でもある。

無意識の中にそういう能力を持っていると思う。

楽譜を読み解いて音楽にするまでは主観的行為といえる。

それを外に向かって発露する能力は、

客観的に物事をイメージできる能力だと思う。

この客観的にものをイメージできる能力をとよくできる場が、

練習会であり、リハーサル会だと思う。

これは自分の二つの能力を鍛える、

非常に貴重な場であることは確かなことだと思う


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