My life in guitar music
長井 浩氏
【第5章 関西学生ギター連盟<その2>】
ほぼそのままの形というのは、
ステージに華を添えるため、というとしかられそうであるが、
連盟の某女子大(といっても一校であるが)のギター部より、
希望者数名をバンドに加えたためにそう呼ぶのである。
人数は増えたが結果として演奏レベルは落ちることになる。
これは女子大だからだめとか下手とかそういう問題ではなく、
タンゴは日頃から決まったメンバーで、
似たような曲ばっかり阿吽の呼吸で合わせているため、
やはり突然のゲストを加えるというのは結果的には無理があったように思う。
私自身ずっとクラシックバンドに所属していたが、
この連盟演奏会用即席タンゴバンドに参加したことがあり、
演奏レベルの低下に貢献していたのだ。
他には大合奏というものもあり、
これは読んで字のごとしで大人数の合奏である。
一校あたり10名くらいのメンバーを出して編成するため、
総勢50名くらいいたはずである。
アルトとかバス、コントラバス・ギターも用いた大合奏だったが、
もともと一つのパートに10名以上いるようなギター合奏というものの存在意義が、
自分自身よく分からなかったので、これは参加を遠慮させてもらった。
大人数ゆえに音量も大きく、
また、みんな指揮者をよく見て演奏していたためになかなか揃った演奏だったとは思うが、
いかんせん同一楽器による巨大アンサンブルの持つ最大の欠点、
(音量のわりに色彩感が出ない)
こればかりはいかんともしがたかった。
まあ偏見と言ってしまえばそれまでなのだが・・・・
ギター・アンサンブルは10名程度
(個人の出す音が聴衆に識別できる限界)までが精一杯というのが、
それ以来の持論になってしまった。
連盟の行事で一番印象に残っているのがプロの演奏家によるマスタークラスである。
私が1年生のときに呼んだのが鈴木一郎氏であった。
今でこそイチローといえば野球選手のことだが、
当時はイチローと言えばパリ在住のこのギタリストのことだった。
(というのはやはり言い過ぎか。)
元祖イチローは、西宮市出身で確か関西学院出身なので、連盟の依頼を快く引き受けて下さり、
4,5名の学生の公開レッスン(ただし聴衆は連盟のギター部員のみ)を行った。
桂枝雀のような風貌ながらパリのエスプリというかエレガンスというか、
愛器フレタを抱えながら情熱的にレッスンを行って下さった。
リズムのカウント方法もイチニイサンではなくアン、ドウ、トロワであったし、
ソルの有名なメヌエット(5.6弦をソ、レ調弦にする短調の曲)では冒頭のテーマは、
「愛をこめて I……. love……… you ♪というふうに弾くんだよ」
と歌いながら指導しておられた。
効果は一瞬なのであろうが、
生徒もムッシュー・スズキの毒気(?)に当てられ、
情感あふれる美しい演奏になっていたのがおかしかった。
野村先生もこのレッスン方法を採用してはいかがだろうか。
ただし教室の生徒数が減っても(逆に異常に増えても)私は責任は取れませんが。