My life in guitar music



                
                   
長井 浩氏








      【第2章 「ギターを弾こう」の巻=2=】




 
そんなある日、5月か6月ごろ親戚の家に行ったら、

たまたま、いとこ(10歳近く年長)の所有するクラシックギターを発見した。

当然のようにそのギターも最後に演奏されてから何年も経っている代物であった。

だいたい、誰かの家に行って見つけたギターが現役で演奏されている

なんてことが起こりうる確率は極めて低く、

結局は、粗大ごみとして生涯を終えるギターの何と多いことか。

その点ピアノはたとえ弾かれなくなっても

異様にかさ張る物置としての余生が残されているのでうらやましい。

(粗大ごみとして出すには相当の覚悟と体力が必要であろう。

山下洋輔という人はピアノを燃やしながらライブ演奏を行ったようだが、

体力と気力には定評のあるピアニストだからこその技である。)

一応おばさんに断って即ゲットで自宅に持ち帰ったそのクラシックギターは、

ちゃんと茶色いギター色をした正真正銘のクラシックギターであった。


 ギター部の練習は相変わらずスケールとアルペジオと合奏曲であり、

合奏曲にしても実際に自分が参加して弾いてみると、

クラブ紹介のときほどの感動は受けなくなってしまっていた。

技術的にもレパートリー的にもあまり高度なものではなかったからであることが

だんだんと分かってきたからである。

そこで、一人で完結した音楽をやるために適当な教則本はないかと本屋に行ったら、

NHK出版の「ギターを弾こう」という番組のテキストが目に付いた。

安さといい、薄さといい手ごろだったので早速それを購入した。

関西では確か金曜日の夕方に放映していたと思うが、

ほぼ欠かさず番組を見てテキストの曲を練習した。

先生は鈴木巌氏であった。

歴代の「ギターを弾こう」講師陣の中でも、通好みというかシブいというか、

まあ結構地味目の先生に当たったわけであるが、自分にとっては非常に良い先生だった。

テキストの内容も、今見直してみてもなかなかの充実振りである。

初級者用の曲はソルやアグアドの練習曲が主だったが、

これを番組に出てくる初級者の生徒(小学生の男の子)と一緒に練習した。

1977年4月から一年間の番組であったが、

この間にテキストの初級と中級の曲は一応目を通すくらいのところまでは行った。


 今思えば70年代後半は現在よりもギター人気が高かったため、

このような番組が成立し得たのではないかと思う。

一概にギター人気だけではなく、色んな意味で最近は娯楽が多様化、

専門化する傾向が強まっているようで、ギター、

とりわけ、クラシックギターに向かう人の絶対数はやはり減っているのではなかろうか。

誰しも、偶然の積み重ねによりギターと出会うのであるが、

私の場合は、その後、挫折することなくギターを続けられたのは、

やはり鈴木巌氏によるこのテレビ番組の影響が大きかったと言える。


 その後は小原聖子氏(78年と79年の2年間)、

アントニオ古賀氏(80年)らが講師を勤めたが、

鈴木氏のときほど真面目に見るということもなく、だんだんこの番組から離れて行った。

当時の大スターで同じく
NHKの5分間ミュージッククリップ番組「名曲アルバム」の常連でもあった

荘村
清志氏は74年に続いて81年にも「ギターを弾こう」に出演しているが、

すでに大学に進学して生活が荒れて(?)いた私は金曜日の夕方にめったに家にいたことがなく、

荘村さんがこの番組に出演しているのをまったく見た記憶がないのである。

先ごろ若くして亡くなられた渡辺範彦氏も75年にこの番組の講師を勤められたが、

残念ながら、私がクラシックギターを弾き始めたのは77年であるから、

実際に演奏を耳にしたことはない。

ただ、当サイト内「ギターエッセイ」において後藤女史が格調高く書いておられるように、

渡辺さんと言えば、ヴァイスのシャコンヌで、

後に入部することになる大学のギター部においても、

狂ったようにこの曲ばっかり練習している先輩がいたのが印象に残っている。

高校時代のギター部の同級生の一人はすでに中学生のころからクラシックを弾いており、

よく渡辺氏の演奏に言及していた。しかしレッスン内容については、

「何ゆうてるかわかれへんから、いっそのこと番組全部ミニミニコンサートにしたらええのに」

とよくぼやいていた。

一方我が鈴木巌先生のレッスン内容は、

そのサラリーマン的外見からも想像できるようにきわめてオーソドックスであり、

とてもよく分かった。

もちろん演奏家としての実績も相当なものがあったのだと思うが、

渡辺範彦氏に代表される「芸術は爆発だ」系の天才肌プレーヤーよりは

番組にマッチしていたのではなかろうか。

とにかく向こうにはその自覚はないだろうし、

実際にお目にかかったこともないのだか鈴木先生が

私の始めてのギターの先生であったと言える。

「ギターを弾こう」がいつ終了したのかはっきりしたことはわからないが、

ネットで検索する限り82年松田晃演氏という記録が私の見つけた最新の記録であり、

僕が就職した84年にはもうはっきりやっていなかったという認識があるので、

遅くとも83年あたりが最後の年度ではないかと思う。

「ギターを弾こう」おたくの人は詳細情報を

教室ホームページに書き込んでおいていただけると幸いである。







                       

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