My life in guitar music
長井 浩氏
【第2章 「ギターを弾こう」の巻=1=】
前回書いた白いギターの話題は世間的にも相当強い懐古の情を喚起するらしく、
「白いギター」でYahoo検索すると4千件以上ヒットした。
その中には兼古さんの「出会いの記」における一文も含まれていたことをご報告しておこう。
げに白いギターの力は侮りがたい。
ということでお話の続きである。
スチール弦を張ったためにネックが曲がってしまい、
演奏不能になった白いギターの代わりに手に入れたのはフォーク・ギターであった。
目にも鮮やかな黒いピックガードを張った、
細いネックの中には鉄の芯が入った正真正銘のフォーク・ギターである。
手に入れたといっても高校の入学祝いに親から買ってもらっただけであるが……。
最初のうちこそ喜び勇んでジャカジャカかき鳴らしたり、
スリーフィンガー用のピック(p、i、mの指に差し込んで弾くピック)で弾いていたが、
ほどなくして、せっかく買ってもらったフォークギターと疎遠になる事件が起こったのである。
事件というほどのことでもないが、
高校に入学したときに、4月だったと思うが、
講堂で上級生がクラブ紹介をするイベントがあった。
運動部もインドア系クラブも一緒に紹介するという雑なイベントではあったが、
そこでクラシックギター合奏というものを生まれて初めて耳にした訳である。
音楽系ではブラスバンド部とか合唱部とかもデモ演奏をやったし、
それはそれで感心したのであるが、やはり自分の少しは齧っている楽器となると印象は格別である。
自分が弾かない楽器(含む声楽)の場合、ある人の演奏に対する評価はプロの演奏との比較になるが、
自分の弾く楽器についてはその人の演奏が自分より上手いか下手かという基準で評価することになる。
特に初心者ほどその傾向が強いのではないだろうか。
ただし技量の判断基準に関しては、えてして、自分に甘く、自分とまったく同じ技量の人が弾く場合、
その人の演奏は自分より下手に聞こえるという心理というか真理があり、
これも初心者にその傾向が強いと思われる。
筆者の経験では英会話についても同じことが言える。
えーと何が言いたいかというと、
初めて生で聴くギター合奏に大いなる感銘を受けたがために、
はずみでクラシックギタークラブに入部してしまったのである。
特に美しい先輩がいたとかそういうことではなく
(いなかったと言っているわけではありませんので、念のため・・・・)
純粋に自分もあの中で弾いてみたいというのがメインの動機であった。
クラシックギタークラブであるから使用するのはクラシックギターである。
第一章「白いギターの巻」で、私は、ガットギターは死語であるとほぼ断定してしまったが、
最近楽器屋でボサノバの教則本をぱらぱら見ていたら、
「ボサノバでは普通ガットギターを使用します。」と書いてあったので、
未だにこの言葉が使用されていることを知ったのである。
よって本エッセイではそのときの気分でクラシックギターと書いたり、
ガットギターと書いたりするが、いい加減な性格に免じてご容赦願いたい。
脱線ついでに書くと、その教則本では、ボサノバにおいては安いガットギターで十分、
3万5千円くらいが上限である、と書いてあったが、おいおい、では聞くが、
アントニオ・カルロス・ジョビンもセルジオ越後、
じゃなくってセルジオ・メンデスも小野リサも3万5千円までの楽器を弾いとるんかい?
と心の中で突っ込みを入れてしまった。
(申し遅れたがここまでの出来事はすべて大阪府堺市において起こっているため会話体の部分は大阪弁、
より正確には泉州弁と河内弁のミックスのような言葉においてなされている。)
とにかくクラブで使用するのはクラシックギターなのだが自宅にあるのはフォークギターのみである。
白いギターはネック反りのため演奏不能となっている。
さすがに今回はフォークギターにナイロン弦を張る気も起きず、
もっぱら部室の楽器で練習をした。部室における楽器の保管状況についてであるが、
普通の縦長のスチールロッカー(更衣室に置いてあって洋服とかが掛けられるいわゆるロッカー)
の上部バーにフックをひっかけ、そこにギターをそのまま吊るすというスタイルであった。
イラクの人質問題で、拷問とか虐待とかいう言葉を最近よく目にするが、
裸のままでロッカーに吊るすのはやはり楽器の権利ということを考えた場合、
問題が多いと言わざるを得ない。
練習のときにはみんなでロッカーからガチャガチャさせながら楽器を引っ張り出し、
みんなでスケール、アルペジオを弾くことから始めた。
20−30分間基礎練習をしたら曲の練習であるが、
あまりパート練習はせずに全体で合わせてばかりだったように記憶している。 〜つづく〜