My life in guitar music



                
                   
長井 浩氏





  

    【第8章 ギタリスト列伝〜〜】



 
 前章では、かなりマイナーなリュートの世界について熱く語ってしまったが、

今回からはオーソドックスなギタリストの話に移る。

原則として生で聞いた演奏家の思い出を中心に展開していきたい。





【ジュリアン・ブリーム−最終回】




 「ブリーム」という姓のところを、

通訳嬢はジュリアン・ビームと訳しておりテレビの前での

「ちゃう、ちゃう、ブリームや!」との必死の叫びも虚しく、

最後までその通訳嬢はビームと言い続けたのであった。

当時発売されていたリオナ・ボイドのLP(死語ですな。)

のジャケ写は白いドレス(何故かかなり太ももが露出していた)

を着たリオナ嬢が白い馬に跨って、

ギターを持っているという不自然なものであったが、

黒柳徹子は「まあ、きれいなおみ足」と、

大時代的な言葉遣いでコメントを発していたのがいまだに記憶に残っている。

脱線が過ぎたため一体何を語っていたのかすっかり忘れてしまったが、

ブリーム先生はすごかった!、

と言うだけのために何百字も費やしてしまったのだった。



 ブリーム先生のコンサートでの思い出と言えば、

演奏終了後に楽屋に行ってサインをもらったことである。

コンサートには4回か5回行ったことがあるが、

その内始めの2回(いずれも大阪時代)は楽屋に行きサインをもらった。

思ったよりも背の低い人だったが、

クリケットで鍛えた頑丈な体躯で肩幅なども、

日本人離れ(当たり前か)した広さであった。

いかにも英国の労働者階級の出身という風貌の人である。


 2回目のときはイギリスの現代音楽の作曲家バークリーという人が、

ギターの為に書いた一楽章のソナタという曲の日本初演だったのだが、

その演奏がすばらしく良かったのでそう言ったら、

”Oh, you like that music.”(ああいう音楽が好きなんですね。)との返答を得た。

たったこれだけの事であるが自分の中では、

「ブリーム先生と音楽について語り合った」ということになっているのである。

我ながらミーハーだとは思うが、

いい思い出になるのであれば、

少々バカやってもいいのではないでしょうか。







若かりし頃へのリンク 社内報に載ったときの写真あり





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