My life in guitar music



                
                   
長井 浩氏





  

    【第8章 ギタリスト列伝〜〜】



 
 前章では、かなりマイナーなリュートの世界について熱く語ってしまったが、

今回からはオーソドックスなギタリストの話に移る。

原則として生で聞いた演奏家の思い出を中心に展開していきたい。





【ジュリアン・ブリーム−2】





 よく言われることであるが、

ブリーム先生は部分部分もまあすばらしいのだが、

曲全体の構成感の造形がすばらしく、

特にこういった組曲ではその構成感の作りこみがすごい。

 バッハをギターで弾き始めたのは当然セゴビアなのだが、

セゴビアが組曲の中の旋律的で、

おいしい部分のみを編曲して単発で演奏したのに対し、

ブリームはあくまで組曲という全体像に拘っていた。

 昨年発売されたブリームのインタビューを中心としたDVD「
My life in music

(本稿のタイトルはここからパクった)

の中でブリーム先生は次のように言っている。

 「セゴビアはバッハの組曲の中の、

おいしい部分のみを抜き出して演奏しましたが、

メレンゲやロリポップだけでは栄養にならないと私は考えます。

肉とじゃがいもがないと体のためにならないのです。」

(イギリスでの生活体験がないためメレンゲが何か判然としないが、

甘いお菓子のようである。)



 ブリームの演奏を生で見ていて感じることは、

ただごとではないくらい演奏に集中しているというか、

没入していることが体のゆれ、

顔(及び毛髪のない頭頂部)の紅潮、フォームの崩れ、

という実にヴィジュアルな形で観察可能な点である。

本当にのっているときはあまりミスはないが、

ショーロスNo.1のラスゲアードを、

一箇所完璧に空振りしたことがあり、

客もびっくりしたが本人もあまりのことに、

演奏中にやりと笑うしかないという場面があった。

 あと細かいスケールが続く箇所では、

必ずといっていいほどテンポが速くなるし、

何故かスケールを
iの指一本で弾いていたり、

と結構技術的な隙も見せてくれるのだが、

それでも音楽としての評価はやはり究極、

至高、絶品ということになるのである。




若かりし頃へのリンク 社内報に載ったときの写真あり





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