My life in guitar music



                
                   
長井 浩氏





  

    【第8章 ギタリスト列伝〜〜】



 
 前章では、かなりマイナーなリュートの世界について熱く語ってしまったが、

今回からはオーソドックスなギタリストの話に移る。

原則として生で聞いた演奏家の思い出を中心に展開していきたい。






【アンドレス・セゴビア】


 まあ現在クラシックギターを弾く人なら、

この人の方向に足を向けては寝られないというくらいの恩人であり、

知らない人はいないと思うが、

実際に生で聞いたことのあるのは、

40歳台以上の人に限られるのではないかと思う。

 しかし僕がギターにのめりこんでいた1980年ごろには、

セゴビアはすでに歴史の一部というかロマン派の残党という感じで、

録音を聴く機会はあってもそういう位置付けで聴いていたため、

心情的にどっぷりはまってしまうことはなかった。

自分より上の世代の愛好家には、

セゴビアにきっちりヤラれちゃっている人が多く、

例えばグラナドスの有名なスペイン舞曲第五番アンダルーザを弾くと、

リズムの崩し方が完全にセゴビア節になっている人、

バッハのシャコンヌをセゴビア風に演奏してしまう人は結構多かった。



 僕の祖父(父の父)はセゴビアとほぼ同年生まれで、

関西の合唱業界ではそれなりの働きをした音楽家であったが、

20世紀の前半から色々なコンサートに出掛けて耳を肥やしていた。

1929年だったと記憶しているが、

セゴビアが初来日した際もリサイタルに出掛けており、

その際の思い出話を僕がギターをやっているというとよく聞かされた。

特に感銘を受けたのがタレガのトレモロエチュード

(「アルハンブラの想い出」という通称はまだ輸入されていなかったと思われる)であり、

あんな曲は日本人には絶対無理と思った、と語っていた。

このときのプログラムを確かに祖父の家で見たのだが、

当HPの資料室に乗せられればまさに最高のお宝になるのだがと思い、

昨年夏に叔父に確認したが、祖父の没後すべての資料、

楽譜は大阪音大に寄贈したとのこと。残念!



 それで1982年の最後の来日の際のコンサートであるが、

当然この機会を逃すと二度と聴くことはできないと判っていたため、

当然のように行くことにした。

すでに80歳を超えている老大家の演奏会なので、

小品中心であったし細かい部分を云々するつもりもないが、

ところどころでいわゆる「セゴビアトーン」が聴かれ、

眼福ならぬ耳福ともいうべき至高の瞬間が数回あったのを記憶している。

とくにソルの有名なアンダンテ・ラルゴ、

(この間アルペジオで後藤さんが弾いた曲)の冒頭のドシラソファミ(だっけ?)

という下降音階のところは、もう完全に撥弦楽器を超越しており、

あたかもクラリネットのような、

木管楽器のスケールを思わせるなめらかさであった。

あのワンフレーズだけで元は取れた、という感じのコンサートであった。



若かりし頃へのリンク 社内報に載ったときの写真あり





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