My life in guitar music



                
                                  
長井 浩氏


           【第1章 白いギターの巻】=(1)=


         ギターは、中学2、3年生のころに弾き始めたので、かれこれ28年間続けていることになる。

             野村先生のところにもかれこれ10年以上通っている。

        しかし最近は発表会くらいでしか教室の皆さんとお会いする機会もないので、

        滞在年数のわりに教室の方とはあまり面識がなく、

        自分自身の認識とは裏腹に最近では謎のギタリスト化しているのではないかとの懸念すらある。


        そこで、自己紹介を兼ねて、

        ギターに関して自分が今までにたどって来た道のりを振りかえってみたい。

        いつ終わるのかも判然としないが興味のある方はお付き合い願いたい。

 

         そもそも始めてギターを触ったのは、小学校4年生の頃だと思われる。

       3歳年上の姉が中学生になってから両親に買ってもらった白いギター(泣)が自宅にあった。

       当時「白いギターに替えたのは何か理由(わけ)でもあるのでしょうか
」という歌があったが、

       何故姉が白いギターを選択したのかも今となっては不明である。

       現代においては白いギターを探し出すのは至難の業であるが、

       当時はいたるところに白いギターは存在した。

       その後白いギターが70年代の遺物をからかうネタとして使われるようになっていたが、

       当時は大真面目に存在を許された楽器であった。

       もっとも本音の部分では、ギターに塗る白い塗料には、

       下の木目を見えなくすることによりいかなる素材をも,

       使用可能とするというすばらしい性質があるため、

       廉価版のギターには好んで用いられたように思う。

       くだんのギターも素材が杉だったのか松だったのか、

       そもそも木材であったのかどうかすら今ではわからない。

       ともかく、その白いギターが、僕が始めて触ったギターであり、

       タイプとしてはガットギターであった。

       ガットギターという言葉は死語とまでは言えないとしても、

       半死半生語くらいまでは来ているので若い人たちには説明が必要であろう。

       ガットとは、昔のバイオリンやバロック・ギターやらリュートやらの弦、

       フレットに使われた羊腸をねじった素材であり、

       我が家のギターには当然ナイロン弦が張られていたため、

       ガット・ギターという呼び名は正しくないのであるが、

       当時はクラシックギターをスチール弦を張ったフォークギター(後述)に対して、

       ガット・ギターという呼ぶのが一般的であった。

       家にあった二冊のギター教則本の内の一冊も「ガットギター1週間速習」という名称であった。

       筆者がガットの意味を知るのはその7〜8年後のことである。


        冒頭でギターを弾き始めたのは中学
2、3年生の頃と書いたが、

       小学校4年のころから白いギターは常に家にあった。

       なぜか姉が弾いているのを見た記憶はまったくない。

       小学生のころは畳の上に直置きしたギターの上から、
       
       左手で指板を押さえてドレミなどは弾いていたが、

       それが弾くと言える状態であったかどうかは分からない。

       おそらく中学2年の頃と思われるが、一応正しいフォーム、

       というかまともな抱え方で弾き始めたように記憶している。

       ちょうど大人用の楽器が難なく持てる体の大きさになってきたからであろう。

       家にあった教則本は前述の「ガットギター1週間速習」と

       「初級カルカッシギター教則本」であったがカルカッシは歯が立たず、

       1週間速習の方で練習をした。

       1週間速習というのもずいぶん大胆というか厚かましい期間設定であるが、

       さすがにアルハンブラの想い出を1週間で仕上げようという目論見ではなく、

       1週間でなんとか音の出せるレベルの曲が仕上げの曲となっていた。

       その曲が何であったか忘れてしまったが、

       フォスターの「金髪のジェニー」か、

       日本の古い歌謡曲の「宵待草」あたりだったのではないかという気がする。

       それでも一応メロディーと伴奏が独立した曲だったので、

       何とか音が出せるようになったときの充実感は大きかった。

       厚かましくも自分には才能があるという(ゆがんだ)認識も持つことができた。

       普通そういう状態になったら、とことんまでハマッてしまっても良さそうなものであるが、

       なぜかそれ以上突っ込んだ練習をすることもなく、それっきりになってしまっていた。





                    

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