マダムI・T





                =思い出その六)=






 無事に内地に帰ってきて、しばらくは両親もいませんので、

広島の親戚の家に引き取られて生活していました。

女の子は嫁に行くものということで、きびしく強要されつつ

花嫁修業に明け暮れる毎日でした。

しかし、もともと活動的だった私は、その毎日に退屈になってきました、

ある日、結婚話が出た時、エイッとばかり家を飛び出し東京に向かいました、

東京で働いていた姉を頼っての上京でした。

ほとんど手荷物しか持たず、確たる当てもなかったのですが、

本人の気持ちとは関係なく、

ただ決められただけの嫁に行くことに抵抗を感じてのたった一人の逃避行でした。

 仕事が決まっていたわけでもなく飛び出したのですから、

列車の席に座って過ぎていく景色を眺めていても、なにやら不安でした、

しかし、東京への気持ちは強く、引き返そうとは思いませんでした。

今は山陽新幹線であっという間に東京へ着きますが、

その当時は、広島から東京へは、二日ぐらいかかったと思います。

ジッと座席に座ったまま、まんじりともせず東京駅に着きました。

東京の姉の住まいに転がり込んで、

さて、仕事探しです。

 しかし当時、終戦後というのは大不況で仕事はありませんでした。

大学を出てもなかなか仕事はなく、女性の仕事というと皆無に近かった状態です、

しかし、ここで幸運にも当時勤めた会社にコネのある人の紹介をもらうことが出来ました、

そして東京での、今でいうところのOL生活のスタートが切られたわけです。


 そしてある日ある時、労音の会報にギター講座開講のお知らせが載ったのです。

しかし、その記事は小さく目立たないものでした、

でも、強く心を引かれて見つめているうちに習いたいなと思いました。

 友達を誘ってギターを買いに行ったことは第一回目に書いたとおりです、

さて、ギターを持って講座の会場へ向かう日がやってきました。

 朝の電車は今と変わらずひどいラッシュです、今よりひどかったかもしれません、

そのラッシュの電車にギターを持ってエイッとばかり乗り込みます、

空身で乗るのも大変な思いをするのですが、この日はギターを持っています、

ドアのすぐ横のスペースに行くことも出来ずにドッと押し込まれました、

ギターはビニールの黒い袋に入れていました、

ハードケースは、ギターと同じくらいの値段でしたから買えませんでした、

仕方なくギター用のビニールの、ケースともいえないような袋を買ったわけです。

車内の網棚に乗せると背が低い私は、今度電車を降りようとする時に手が届かず、

ギターを網棚から下ろすことができません、

仕方なく両腕でがっちりと抱えて蹴飛ばされないように細心の注意を払いました、

蹴飛ばされれば、ビニール一枚でほとんどギターそのものを持っているようなものですから、

立派な蹴り穴があくでしょう。

まだ習ってもいないうちにギターを破壊されるのはつらいところです、

結局ギターの講座に通っている曜日の朝の出勤はなんというか、

槍を持って突撃するジャンヌ・ダルクという形容がぴったりでしょうか・・・・・

このようにしてギター講座に通う日は始まったわけです。  〜つづく〜










     
           小学生の時の友人のお誕生日会の写真です。私は、どの子でしょう?
               満洲のよき時代の貴重な写真の一枚です。






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