マダムI・T








                     =思い出(その二)





            
 合図の汽笛が鳴り、いよいよ乗車ということになりました、

          人の流れが巨大な大河のようにも見えました、

          ものすごい数の人が列車へと乗り込んでいきます、

          われわれが乗ったのは、なんと屋根もない貨物用の貨車でした、

          石炭を積んで走る貨車を想像していただくと分かると思います、

          硬い木の床にじかに座っていきます、

          足を伸ばすスペースもなく膝を立てじっと座っていきます、

          みじんの隙間もないほどぎっちり人を乗せて完了です、

          どの貨車も同じような状況だったと思います。

          走り出せば原野を走ることになります、

          どのような山賊、強盗、その他現れるか分からないということでライトもナシです、

          追われる立場になって、夕闇迫る中走り出しました。



           空は、曇り空・・・・・・・暗闇はどんどん迫ってきます、

          誰話すということも無く深い沈黙が続きました、

          辺りが真っ暗闇に包まれた頃、弱り目に祟り目で雨が降ってきました、

          われわれの貨車には屋根がありませんから濡れるがままです、

          床に雨水が溜まっていきますが、立ち上がることも出来ません、

          身動きも出来ずに座ったままでいました。

          幸いわれわれ姉妹、弟は粗末ながら合羽を持っていたのでそれを着込みました、

          大陸の雨ですから温かいということはありませんでした。



          景色の中に街灯というものは一切ありませんでした

          中国大陸という広さを考えれば、ほとんどが原野で人家というものはありませんでした、

          真っ暗闇の中を列車の走る音だけが響いていました
  
          すると突然一人の女性が泣き始めました、側に居る旦那さんがなだめると、
  
          今度は甲高い声を出して笑い始めました、なおもなだめていましたが、

          時々、奇声を発したり立ち上がろうとしたりしていました、

          この状況におかしくなったのだと思います。

          まあ、考えてみればつい少し前まで日本人といえば

          列車に乗る時は必ず一等車、特別待遇です、

          中国人は三等車かそれ以下・・・・・・それがある日、

          突然天地がひっくり返ってしまったわけです、

          今、このみじめ以下の状況に立たされたわけですから、

          大人の人たちの心境はどうだったでしょうか、

          特にこのご夫婦は、パンのキムラヤの次男か三男夫婦だったと思います、

          大陸に渡ってきて大成功を収めて飛ぶ鳥を落とす勢いのあった人たちです、

          それがすべてを失って引き上げていかなければならない心境はどうだったでしょうか、

          幸いお子さんたちは全員大きくなっていて、奥さんが荷物を担ぐということはありませんでした、

          それでもこのショックでおかしくなってしまいました。



          われわれも両親をすでに亡くしてしまい姉妹、弟だけでの引き上げでした。

          まったく救いようのないような地の底のような真っ暗闇の中を無表情に列車は走っていました。





                                              
〜次回は、コロトー到着です〜






                             
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