マダムI・T




                 =思い出その十)=




 
鈴木先生のアルハンブラの思い出の演奏が終わり

初日のレッスンは終わりました。

こういう楽器の講習会を受けるというのは初めてのことであり、

なにやらものもの珍しさで終ってしまった感はありました。

ギターというのはかくのごとし!!

というほどのインパクトはありませんでしたが、

バリバリ弾いている人を見ると、

(こんな風に弾けたらいいなー・・・・)と思いました、

これから弾けるようになるんかなと一抹の不安もありました、

一緒に行った友達とはなんとなくそこのところは触れないで、

皆と一緒に部屋を出ました。

 この時なぜギターが突然弾きたくなったのか分かりません、

特にギターとは思わなかったのですが、

何か楽器を習ってみたいなと思っている時に、

パッと目に飛び込んできたのが鈴木巌先生のギター講習会の生徒募集でした、

なぜかその文字を見た時、ひらめくものがあり習ってみようと行動を起こしました、

行動を起こすことは苦でもなんでもないので、

とにかく飛び込んじゃえの勢いで申し込みました、

当時のわら若き女性としてはじゃじゃ馬の部類だったでしょうか・・・・・・。


 建物を出てみな駅に向かいます、

当時は山手線とは呼ばずに、省線と呼んでいました、

中央線はかなり後まで省線と呼ばれていたようですが、

山手線はしばらくして呼び方が変わりました、

しかし、どうも省線という呼び名の癖が抜けずについ省線といっては笑われてしまいました。

省線とは鉄道省の電車という意味です。


 八時を過ぎた電車は朝と同じラッシュでした、

今より酒の臭いが充満していたと思います、

戦中派は酒飲みが多かったということですね。

 こちらは朝のラッシュの時のようにギターを潰されないように抱えて必死です、

他の生徒の皆さんは、といっても男性ばかりなのですが、

鈴木先生とギターの話で盛り上がっていました、

先生も24〜5歳、皆も同じくらいの年齢ですから気軽に会話をしていたと思います。

鈴木先生の声がやたらと大きかったのを覚えています。

 私は、当時は大森に姉と住んでいたので品川で乗り換えました、

当時の大森は駅を降りるとあまり人通りもなく、

東京の田舎という感じだったでしょうか、

薄暗い街灯の下家路を急ぎました。







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