フラ・アンジェリカ




(Fra Angelico, 1387年 - 1455年)





<受胎告知と東方三博士の礼拝>



Amours mercy(ジル・バンショワ)



<受胎告知>
サン・マルコ修道院





<聖マルコの前での聖ペテロの説教>





<東方三博士の礼拝>




<最後の審判>
サン・マルコ美術館




<最後の審判>左部分



<最後の審判>右部分




<聖アントニウスの誘惑>




<キリストの変容>




<サン・マルコ祭壇画>


「聖会話」を主題とした始めての絵画でも有名である。
ゴシック色の強い祭壇画である。
しかし、よく見ると遠近法、光の使い方、彫刻からの影響など、進歩的なところが見られる。
ちょっと変わったところで、カーペットの模様がプリミティヴな動物であったり、
キリストの磔刑の絵が床、中央部においてある。
聖母マリアは、自分の子の磔刑の姿から目をそむけている。
子を亡くした母親の悲しみの像である。
背景には自然の風景が取り入れられている。
木々の幹の間から、遠くに広がる風景を見ることができる。
手前中央の二人は聖コスマスと聖ダミアヌス

左から
聖ラウレンティウス、福音書記者聖ヨハネ、福音書記者聖マルコ 

聖ドミニクス、聖フランチェスコ、殉教者聖ペテロ



プロフィール

   フラ・アンジェリコはイタリア、ルネサンス期の画家。  
本名はグイード・ディ・ピエトロ
 15世紀前半のフィレンツェを代表する画家である。
  フラ・アンジェリコ(天使のような修道士)という通称のとおり、
その作品は清らかで深い精神性に満ちている。


生涯

フィレンツェ近郊のヴィッキオの出身。
1387年に生まれ、1420年前後にドミニコ会の修道士になったと考えられている。
修道名をフラ・ジョヴァンニ・ダ・フィエーゾレと称したが、
この名は1423年の時点で確認できる。
フィレンツェのほか教皇エウゲニウス4世の招きでローマでも制作した。
また、フィエーゾレのサン・ドミニコ修道院の院長を務めている。
フィレンツェの事実上の支配者であったコジモ・デ・メディチは、
フィリッポ・リッピと共に彼をお抱え画家とした。






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