=発表会回顧録(一)=
あざみ野で教室を開いて次の年だったと思うのですが、
教室を開設したからには教室の発表会をやろうという気になって、
しかし、始めたばかりであざみ野の教室には生徒がほぼいません。
当然と言えば当然です。
全体写真を見てもほぼいないですね・・・。
しかし、それまでに出先の教室でのレッスンはしていて、
それなりに在籍してる生徒はいたんですね。
また、その頃、友人の在籍していた、
地方のギタークラブのメンバーにも参加していただき、
人数だけは揃えられたので、
「よし!やろう!」と、気合だけは旺盛でした。
今現在、ここまで続くとは考えてもいませんでしたが・・・。
懐かしい第一回目のプログラム。
1980年 昭和55年が第一回目だったんですね。
7回分がよく聞かれる50回からの不足回数・・・。
以前に当時のことを説明したとおりの状況でした。
それにしてもこの時は、6月21日、土曜日。
一番驚くのが開始時間、
なんと!PM:4:00からとなってます。
この時は、たぶん午後から夜にかけて借りたんだと思います。
しかし、夜暗くなって帰った記憶はないので、
夕方には終わっていたと思います。
帰りは山手線から田園都市線に乗り換えて帰ってきたんですね。
帰りに打ち上げということもなかったです。
この時は生徒に子供が多く、大人が少なかったというのもあります。
また場所が新宿で地理的にも遠かったというもの理由ですね。
田園都市線沿線で手ごろな会場がなかったというのも、
新宿という遠くなった理由の一つです。
あざみ野自体にほとんど何もなかったという感じでしたから・・・。
なぜこの金属健保会館という場所になったかというと、
ここには300人くらいだったでしょうか、
大ホールもあって、これより以前にコンサートをやったこともあり、
この小ホールがあることも知っていました。
あざみ野近辺には何の情報もないので、
手っ取り早く申し込んだということですね。
とにかく発表会を主催したという経験はないので、
すべては手探り状態。
プログラムを作るにも表紙のデザインはどうするのか、
とにかく凝ったデザインなどというのはできないので、
シンプル・イズ・ベストでいこうということで、今のデザインに決まりました。
いまだにこのデザインは変わらず。
変えようがなかったといったほうがよかったかも・・・。
若干いい加減に決まったという感じだった。
当日以前に会場に行って当日の打ち合わせと支払い。
事務の女性の方が「屏風もありますよ」との説明。
「どういう屏風ですか?」と聞いてみると、
「金屏風です」と言われたので、
(金屏風・・・)すぐには二の句が出ずに、
頭の中では「どうしよう、どうしよう」が駆け巡っていた。
金屏風を演奏者の背後に立てるというのが、
どうイメージしていいのか分からなかった・・・。
しかし、後ろが板壁だと考えると、
それも殺風景だなと思い意を決して予約する。
発表会にはつきものの花はどうしよう・・・。
新宿での花屋というのは全く分からない。
これも事務の方に聞いたと思う。
発表会用の花ということで予約をしたと思う。
それだけで向こうはプロなので了解していた。
いつ持ってきてもらうかは少し迷っていた、
早すぎても遅すぎてもいけないのかな、
一時間前くらいならいいのかなということで予約。
とにかく、一から十までわからないことだらけ・・・。=つづく=
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