That エッセイ once again

                              


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                当教室に在籍して早18年。
                  アンサンブルにも参加して元気にギター弾いている。
                   マダムにギターを始めたころの思い出を、
                    以前語っていただきました。
                      今回再び掲載したいと思います
                         大陸育ちのお話は興味が尽きない。
                          もう一度詳しくお話していただき、
                            加筆しながら紹介したいと思います。
                              かなり貴重なお話であり、
                              歴史の証言の意味合いもあります。


       
=満州時代の思い出(十)=

 
引き上げ船に乗船していよいよ帰国です。

帰国に際しては現金の持ち出しに制限があり、

持ち出しできる金額は千円と決められてました。

千円と言ってもいまの千円ではありませんよ。

もっとも持ち帰っても日本でどのくらい使えるかは分かりません。

船に持ち込める荷物も身の回り品だけと制限がありました。

中には背負っているリュックに、

鍋、釜、フライパンまでぶら下げている人もいました。

 わたしは、満州生れで満州育ちです。

日本は異国という感じでした。

子供でもあり自分自身が日本にはさして縁がなかったせいか、

帰国するという感慨はあまりありませんでした。

船に乗っている人は日本へ帰れると喜んでいましたが、

わたしは、故郷へ帰るという気分にはならなかったですね。

人は生まれ育ったところが故郷なんですね。

日本に帰ってきて女学校時代のクラス会で同級生と会うと、

満州時代の話に花が咲きます。

通った女学校はどうなってるのか、

学校の寮はどうなってるのかな・・・。

住んでいた家はどうなってるだろう・・・。

日本に帰国してからは、

一度も住んでいた満州に行ったことはありません。

行くこともできないですよね。

 夜の闇が広がる中船はゆっくり岸を離れ始めました。

船底でじっとしてうつむいてる人。

甲板に出て座ってる人。

静けさの中、甲板にだんだん人が出てきて、

隙間のないくらいに人が集まってきました。

後ろで眺めていると、みなさん退屈してきて、

そのうちにのど自慢が始まりました。

ギターを弾く人が乗っていたようです。

その人が伴奏をして順番に箱の上に乗っては歌っていきます。

霧島昇の「たれか故郷を思わざる」

こういう場合かならずといっていいほど出てくる歌ですよね。

貨物船ではありましたが、立派なマイクが立ててあり、

得意になって歌ってる人がいましたよ。

この時のことで忘れられないのが、

当時有名だった「藤原歌劇団」の斉田アイ子さんが乗り合わせていて、

曲名は忘れてしまいましたがギターの伴奏で何曲か歌ってました。

子供のわたしにとって、こういう方がこの船に乗っていたことは驚きでした。

大陸にいる兵隊さんたちへの慰問に来ていて、

そのまま終戦になってしまったということでしょうか・・・。

演歌はあまり興味はなかったのですが、

この光景だけははっきり覚えてます。

 博多のほかには佐世保も引き上げ船の到着港になっていたようですが、

佐世保だとその後も相当遠回りになるので博多でよかったんですね。


 出航した港からそれほど離れているとも思えないのですが、

博多を目指してるわりには、

なんとも止まったり動いたりでなかなか進みませんでした。

博多湾に入っても次々に引き上げてくる船の順番待ちがあるのか、

なかなか接岸できない状態が続きました。

結局、出航して一週間もかかってようやく接岸しました。

いよいよ上陸となるわけですが、

ここでもちょっと大変なことがありました。
=つづく=


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