That エッセイ once again

                              


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                当教室に在籍して早18年。
                  アンサンブルにも参加して元気にギター弾いている。
                   マダムにギターを始めたころの思い出を、
                    以前語っていただきました。
                      今回再び掲載したいと思います
                         大陸育ちのお話は興味が尽きない。
                          もう一度詳しくお話していただき、
                            加筆しながら紹介したいと思います。
                              かなり貴重なお話であり、
                              歴史の証言の意味合いもあります。


       
=満州時代の思い出(十)=

 
錦州の収容所で生活してしばらくすると、

帰国船への乗船の日が決まりました。

荷造りをして錦州から船の出航地であるコロトーへ移動しました。

班長から乗船についての説明があり、

荷物を担いで乗船です。

姉の首には両親の骨壺がしっかり掛けられてました。

さて、乗船というところで足止めされました。

米軍の兵士が背中に背負ったタンクから、

消毒液を我々めがけて吹きかけました。

農家などで稲を消毒する時に使うような大きな霧吹きのようなものです。

だれかれかまわずひと山づつという感じで吹きかけてきました。

猫の子に吹きかけるようなものです。

この時は悔しさで唇が震えましたね。

吹きかけてる兵隊を横目で睨みつけましたよ。

悔しかったですよ。

 妹は肺浸潤にかかっていて体が弱っていて、

この消毒液のDDTにかぶれてしまい、

顔が真っ赤に腫れ上がってしまいました。

なんとも辛そうで可哀そうでした。

船は貨物船でおおよそ綺麗ではありませんでした。

我々は船底の貨物用の場所をあてがわれました。

貨物船ですからスペースは広いのですが換気がほとんどくなく、

秋とはいえ息苦しくてたまりませんでした。

とてもこの場所にジッとしてることができず、甲板に出てました。

姉は妹が衰弱していたのでそばに付き添ってました。

弟は相変わらずちょろちょろして船内を探検してました。

 夕暮れが近づいてきました。

船は夜出航する予定です。

陽が落ちてきて空が真っ赤に染まりました。

それはそれは見たこともないような美しさです。

その真っ赤な夕日は今でも忘れることができません。

地平線に沈む真っ赤な太陽と、

それとともに赤く染まっていくこの風景は、

この後一度も見たことがありません。

 何人かの人は船の手すりぎりぎりまで行って絵にかいてました。

もう戻ることもない大陸の最後の風景です。

 真っ赤な夕日が沈んで、

暗闇が広がってくる頃、

ついに船はゆっくり岸を離れ始めました。

しばらくゆっくり進むうちに回りは闇に覆われて、

船の進む音だけが響きます。

誰もほとんど会話をするということもなく、

船底の部屋にいたり甲板に出たりしてました。

わたしはとても誰かと会話をするという気分になれず、

甲板に座って黙って暗い海を眺めてました。

子供ではありましたが、

なんとも言いようのない気分でしたね。
=つづく=



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