That エッセイ アンコール
                         

             以前掲載した御年93歳のギターを弾く方のエッセイを、
               もう一度読みたいという方が複数おられるので、
                 再度掲載することにしました。
                   太平洋戦争にまつわる中国大陸からの引き上げなど、
                    大変貴重なお話であることは確かです。


       
=ギターを習いに行くまで=

 
今回、私のギターとの出会いをお話しようと思いたちました、

なにぶんにも、かなり古い話となりましたので、

あまり正確には覚えてはいないのですが、

ボケる前に一つ一つ思い出しながら書き止めておこうと思います。

最長老の話ほど古くはありません。


 あれは昭和32年くらいのことだと思います、

当時、会社でキーパンチャーとして働いておりましたが、

仕事もだいぶ分かるようになり年数もそこそこ勤めておりましたので、

何か仕事とは別のことをしてみたいと思うようになっていました、

何かないかと考えていたある日、

労音の会報に、ギター教室生徒募集の広告が載っていました、

そこに目が留まって(いいなー・・・)と思いました、

その時は、特別ギターという楽器を詳しく知るわけでもなく、

特別思い入れがあったわけでもありません。

しかし、その広告を見た時なぜか心に留まりました、

ただ一人で行くのも、なんだなと思い、友達を誘いました、

この辺は女の子らしくということですね。

その彼女は、「行く、行く!! 私も行くわ!!」と、大賛成でした、

いきなり二人で盛り上がりました!!

その彼女は、今でもギターを弾いています。


 さて、行くことに決めたのはいいんですが、

肝心のギターがありません、

まずはギターを買わなくちゃ、

ということで神田は淡路町に出かけていきました、

行ってみると、三軒楽器店がありました、

しかし、中に入ってギターを見るとみな値段が高い、

現金ではとても買えません、

なにしろ給料と同じ値段なんですから・・・・・・・

ローンなどというものはこの時代、影も形もないものでした、

分割にしてくれないかなー・・・と思い、

店のご主人に掛け合うのですが、二軒は相手にしてもらえず

最後の一軒でやっとOKしてもらいました、

「おじさ〜ん、分割にしてよ」と大きな声で言うと、

「しょうがないな・・・・・」と言いつつも、

月々500円の分割にしてくれました、

うら若い乙女の叫びが届いたようです。

今であれば単純に迫力で押し通せるのですが、

このころはまだまだ・・・・・・


 給料が5500円、ギターが5500円・・・・・。

分割にでもしてくれないととても買えません、

このお店のご主人には今でも感謝しています、

最近になって、一度このお店のあった辺りに行ってみましたが、

風景がまったく変わってしまっていて、

三軒あったお店も一軒になっていました、

そのお店も、どうもギターを買ったお店とは違うようでした、

時の流れとともに、お店も、おじさんも跡形もなくなっていました。

はるか半世紀も前ののことですからしょうがないですね。

あのころはまだ高いビルもなく3階程度の建物ばかりでした。

このおじさんはホントに良い人で、

毎月給料日になると自転車で会社まで集金に来てくれました。

集金に来るとよく「上手くなりなよ」と言って励ましてくれましたね。

会社は九段下にありました。

楽器自体結構良いものだったようです。

だいぶ経ってから甥っ子にあげてしまって、

今はどうなっていることやら・・・・・・、

なんか手放して残念な気持ちになってます。


 いよいよギターも手に入って、

いよいよギターを習いに出発です。
=つづく=




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