譜面台の陰から


                >記憶と記憶<

 
今の時期、生徒の皆さんは、

クリスマス会に向かって練習を積んでいると思います。

暗譜に挑戦してる方、譜面を見ながら曲に挑戦してる人。

本番で発表すべき曲を練習してると思います。

練習している過程においてよく話題になるのが、

暗譜についてですね。

楽譜を覚えるということです。

そしてまた話題になるのが覚えた曲を、

覚えておくことができないという嘆き。

 非常にある程度長い期間かけて覚えた曲を、

わりと簡単に忘れてしまう・・・。

これはほんとにもったいないと思う人が多いですね。

「なんで忘れてしまうのかなぁ・・・」

この一言をほんとによく聞きます。

しかし、人間というのは覚えることもできるんですが、

同じくらい忘れていくんですね。

忘れていくというのは、

脳の海馬というところが関係していて、

一時的にしっかり記憶するべき事柄を覚えるんですね。

しかし、残念ながらというか、

次の新しい記憶が入ってくると、

前の記憶を消していってしまうんですよね。

前の記憶と新しい記憶が、

同じ比率で混ざってしまうことを防いでるんですね。

これが同じ比率で残っていってしまうと、

なんだかおかしいことになっていきそうですよね。

人間というのは、

常に新しい情報を取り入れて生きていくわけですから、

古い記憶が残ってしまうことはよろしくないわけです。

しかし、不思議なことに楽譜は忘れてしまうのに、

弦を弾くという行為は忘れないですよね。

これも当然といえば当然で、

脳が管理してる部分が違うんですね。

記憶を管理してるところは「海馬」

指の動きを管理してるのは「運動野」

体の動きというのは忘れないように脳は管理してるわけです。

これを忘れてしまうと、

ものを食べることもできなくなってしまいますからね。

そうこう考えてみると、

曲を忘れるというのは、

自然のことと受け入れたほうがよさそうです。

でも、それだけでは覚える意味がない、

ということになってしまいます。

人間というのは記憶を記録していくというのは、

記憶する事柄において強いインパクトを与えるということです。

物心ついてからいろんな行動を覚えてきたのは、

「ダメ!!」という親の𠮟責。

長じては社会という枠組みの中での周りの人の「叱責!!」

良い、悪いの事柄をインパクトの中で覚えてきてるんですね。

ある程度誰しもが共通して持っている感覚だと思います。

こういう感覚はどこに記録されてるのだろう・・・。

ようするに体で覚えてるということなんですね。

はじめてたどる道筋というのは、

もちろん最初は右往左往するんですね。

そして少し間が空いてもう一度行ってみると、

細かいことは忘れてしまってますよね。

ただいくつかは前回見たという記録が出てくるんですね。

これは脳が覚えてるわけではなくて、

体が覚えてるといっていい・・・。

運動選手は特に脳で覚えたことを、

体に記録しておくことの天才じゃないかな。

際限なく繰り返し練習するというのは、

それだけ体にプレッシャーをかけるということなんですね。

それによって何よりも早く、

体が反応することができるんですね。

曲を覚えておくというのも同じことなんですね。

脳の「海馬」には長期保存することはできません。

「海馬」は記憶装置ではあるのですが、

時間とともに保存された記憶は薄れていきます。

そして、新しい情報が入ってくると、

跡形もなく消えてしまいます。

新しい曲を練習し始めると、

前の曲が思い出せなくなるのはそのためです。

では、前の曲の記憶が、

全く消えてしまうのかというとそうでもありません。

どこかに記録されてるはずです。

それは体でということになります。

楽譜の音符自体は忘れてしまうのですが、

指の動きはある程度体には残ってるんですね。

いわゆる「運動野」に残っているということです。

断片的ではありますが、

それを楽譜を見ながらつないでいくと、

かなり元の状態に戻すことができます。

体に記録されてないと、

元に戻るのはかなり難しいといえるでしょう。

暗譜して人前で演奏するというのは、

人間にとって大きなプレッシャーであり、

衝撃的なことなんですね。

人間というのは、

インパクトのある出来事は覚えてるんですね。

「海馬」では薄れてしまう記憶でも、

体には記録されてるんですね。

しかし、それもあまりに長期にほっておくと、

人間の中で必要ないと判断されて、

永久に人間のあらゆる部分からは消されてしまいます。

時々体に残されている記録を、

なぞってみることも重要ですね。

まったく長期間放置された記憶、記録というのは、

綺麗に洗い流されて消えてしまいます。

しかし、それで人間というのは、

さわやかに生きていけるのかもしれないですね。

ただ何も残らないことも確かです。

自分自身の「記憶」と「記録」を、

少し考えてみてもいいかもしれないですね。


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