譜面台の陰から


                >感性の減退<

 
感性という言葉がありますね。

よく使われる言葉ではありますが、

普段あまり気にもしてないですよね。

しかし、この感性というのは、

人間のいろいろある能力のうちで、

一番といっていいほどの重要な感覚です。

見たことに対してどういう感覚を持つのか、

目から入ったものに対する感覚、

皮膚に感じる感覚。

耳から入る感覚。

これら入って来るものに対してどういう感じを持つのか。

生まれてすぐにこの能力は発揮されて、

物凄い勢いで吸収されていくんですね。

それが記憶として人間が生存していくための能力に、

結びついていくんだと思います。

20歳の前半くらいまでは、

もっともこの感性というものは広がり、

厚みを増していくんですよね。

五感から入ってくる感じたことで泣いたり笑ったり、

いろいろなことで表現していくんですね。

そのような感情の振幅で感性の厚みというのは、

増していくんですよね。

絵画、音楽あらゆる表現物を見て聴いていくことで、

固定観念を常にリフレッシュして、

物事に対するイメージを膨らましていくんですよね。

しかし、厄介なことに人間というのは歳をとっていきます。

歳をとることは特になんら普通のことなのですが、

ここで残念なことが起こっていきます。

新しく完成を開拓していくという、

ある種のエネルギーが欠けていくということです。

まあ、人間である以上誰にでもあることなんですね。

若い時期は、夢中になったスポーツのテレビ中継。

関心を持って眺めたニュース番組。

聴いては感激していた音楽。

そのような興味関心が歳とともに薄れていくのが人間です。

なぜそのようなことが起こるかというと、

一つには体力、気力の減退というのがありますね。

若い時は無限のように湧いて出た気力、体力も、

歳を経るにしたがって衰えていくと思います。

そこからいろいろ物事から受け入れる能力も衰えていくんですね。

よく頑固だという言葉で表現されることがらの多くは、

ここが起点になってるんですね。

感性の厚みが歳とともにどんどんと削られてしまって、

吸収する力の衰えが出てくるんですね。

いろいろな物事への発想力も同時に衰えてくるんですよね。

これらを放置しておけば、

物事に対するイマジネーションというのは単一化されて、

新しい感性というのは発揮されなくなってきますよね。

いわゆるイマジネーションの欠如につながっていくんですよね。

だんだん人間つまらない状態になっていくわけです。

ようするに固定観念の身になっていってしまうということ。

個々の固定観念というのは、

外からの情報を受け入れがたくするんですよね。

いわゆる話しをしててもつまらないということです。

感性の厚みを持たせていくということは、

いろいろなことをまず受けれていくことが重要なんですね。

人間、好き嫌いというのがありますが、

歳とともにこの落差は大きくなっていくものです。

それ自体は仕方がないといえばそうなんですが、

それをそのままにしていくと、知らず知らずのうちに、

受け入れてくれる器は小さくなっていくと思います。

歳を経るにしたがって、

自分の殻に閉じこもっていってしまい、

音楽もたいして聴かない、

絵を見ることもない・・・。

何もしなければ人間の感性というのは、

限りなく薄くなっていくんですよね。

歳とともに億劫になっていきますが、

まずは足を運んでいくこと、

五感でしっかり感じ受け止めていくことで、

感性の厚みというのは守られていくんですよね。

一見荒唐無稽なイマジネーションでも、

そこに新しい発見があるかもしれないのです。

しかし、感性の広がりと厚みがなければ、

見逃してしまうことになるんですね。

人間というのは感性の厚みも広がりもなければ、

つまらないただの物体でしかないんですよね。

これからの季節はいろんな感性を発揮するのに、

ちょうどいい季節になりますね。

夏が長すぎてほんとにいい時期は短くなってます。

貴重な秋の空気感を大事にしなければいけないですね。


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