譜面台の陰から


                    >この音楽は・・・。<

 2023年 一月も、あっ!という間にラストって感じですね。

一月が終了すると突然時間の進みが早くなるんですよね。

追い立てるのではなく過ぎる時間の前に立って、

歩を進めたいですね。

失われた時間は完ぺきに取り戻せないですし・・・。

後手に回ることなく前を向いていきたいですね。

 人間というのは嫌いな音楽ってあるんですかね。

いろいろな方と音楽の話をしていると、

この音楽は好き、あの音楽は嫌い。

なんて話をよくします。

音楽にもいろんな無数の種類があって、

全部を聴くなんてことはとてもできないですよね。

そう考えてみるとこの音楽は好き、嫌いという会話って、

ほんとに狭い範囲での話をしてるんじゃないかと思います。

教室でよく出てくるのは、

クラシックは嫌い、ポピュラーは好き、弾き語り好き・・・。

なんて話をよく聞きますね。

音楽はこの三つしかないのかってくらいです。

ほんとに狭い世界での話なんですね。

もっと文覚一般全部聴くなんてこともできないんですが・・・。

 では、なんでこの音楽は好き、

この音楽は嫌いという会話が出てくるのか・・・。

よく話を聞いてると、

好きだという音楽に関しての知識はものすごくあるんですね。

こちらも勉強になるくらい詳しくあります。

 人類皆音楽が嫌いという世界中の人たちっているんでしょうか。

そんな人はいないんじゃないかなって思うのです。

まあ、音楽の種類を少し上げただけでも、

レゲエ、ジャズ、ボサノバ、映画音楽、ロック・・・。

数えていくときりがないくらいありますね。

こういう様々な音楽の中で、

なぜ、これは好きこれは嫌いとかいう話が出てくるのか。

一つ考えられるのは人間個々に持っている感性だと思います。

やはり一人一人の感性って違って当然なので、

まず自分の感性にマッチした音楽に、

より多くの時間を触れていくのは当然だと思います。

そうすることによってよりその音の理解は深まるんですね。

それはそれでいいことだと思いまいます。

しかし、人間というのはそこで一つのバリアを張っていくんですね。

そこで、ほぼほかの音楽というのを聴かなくなります。

聴かなくなると、

ほぼ他の音楽に対して距離を持っていくんですね。

自分の感性のバリア中だけの音楽しか聴かなくなるんですね。

それ以外の音楽の話になると「つまらん」「どうも嫌い」

というふうに自分の意見を引っ張ってしまうんですね。

人間というのは嫌いな音楽って実はないと思います。

なんでも聴く感性って持ってるんだと思います。

その中で突出した感性の音楽だけを、

取り出して聴くようになってしまうんですね。

せっかくあらゆる音楽に対しての感性を持っているのにもかかわらず、

自分好みを一つ二つの音楽に限定してしまう・・・。

短い人生の中でこれはもったいないという気がします。

感性にマッチする音楽はもちろんですが、

ほかの小さな感性を伸ばしていく。

たくさん伸ばせれば、

たくさん音楽の楽しみを持つことができますよね。

音楽を楽しんでいく要素として、

やはり情報が大事ですね。

ロックならロックの情報、ジャズならジャズの情報、

クラシックならクラシックの情報。

自分の好みの音楽しか聴かなかなくなると、

他の分野の音楽の情報はまず受け付けなくなるんですね。

自分自身もそもそもはクラシック音楽しか聴かなかったのですが、

いろんな音楽の情報を持っている方との会話の中で、

いろんな情報を得ることができました。

そういう情報を得ながらいろいろ聴いてみると、

そうか、そういうことか、という感性が伸びてきて、

その音楽をより聴くようになるんですね。

そういう知識の積み重ね、聴く積み重ね。

これによってより興味が湧いてくるんですよね。

やはり重要なのは情報ですよね。

 作曲に興味を抱く人がいて、

それにはどうしたらいいかという会話が出てきました。

そこでいろんな意見が出て、

参考になるYouTubeのサイトの話なども出てきました。

こういうコミュニケーションが最も大事なんですよね。

自分の感性の枠にとらわれず、

いろんな音楽の感性を伸ばしていければ、

同じ人生の時間の中でも、

倍の楽しみを得ることができると思います。

教室には多種多様な音楽の好みを持った方がいると思います。

そういう中での情報交換というのは実に意味のあることだと思います。

会社、家庭での情報というのは限られてると思います。

そこにとどまっては感性の芽というのは伸ばせません。

教室に籍を置くというのは、

いろんな音楽情報においても意味があることだと思います。

音楽の嫌いな人間というのはいないと思います。

ただ情報があまりに少ないということだと思います。



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