譜面台の陰から


                     >錯覚<


 いよいよ発表会が迫って来ましたね。

リハーサル会も終了して、

本番演奏に向けて最終調整ですね。

これからどういう練習をしていくかで、

本番での演奏の出来が決まってきますね

リハーサル会での自身の演奏が参考になっていくと思います。

 「錯覚」なんていう言葉が出てくると、

なんだかヒッチコックの映画のタイトルみたいですね。

まあ、ヒッチコックも知らない人は知らないという名前になってきました。

 人間にはよくあると言えばよくあるのですが、

Aだと思っていたことが実はBだった。

Bだと思っていたことが実はCだった。

別ないいかただと勘違いという言葉でもあります。

なぜ錯覚ということが起こるのでしょうか・・・。

演奏のことで言えば、

まず一番多いのがテンポに関してですね。

これはもうずいぶん前から指摘してきてるのですが、

さして改善されてるとはいいがたい。

なぜなかなか改善されないのだろうかと、

つらつら考えてみるに、

初心者のころより、

いわゆる名曲難曲を弾くようになってからのほうが、

問題になることが多い。

一つ明確に言えることは、

初心者のころの練習曲というのは、

CDとかYouTubeなどには出てきにくい。

そうすると白紙の状態のところにテンポリズムが表出される。

この段階ではどういうテンポかも分からないと思う。

遅くと言えば遅く、早くと言えば早く、で演奏されるわけですね。

ところが曲も進んでくると、

名曲、難曲が演奏課題に出てくるわけですよ。

この段階のところから、

テンポもリズムもかなり困った状態になっていくんですね。

練習する前からテンポ、リズムの情報が、

入ってきてしまっているんですね。

これが頭の段階で止まっていれば、

それを修正することはそう難しいことではない。

しかし、繰り返し聴かれることの多い曲になると、

もう頭から体のほうに情報が下りてきてしまっている。

人間というのはいわゆる体得してしまった情報というのは、

容易に変えることはできなくなってしまっている。

名曲にチャレンジしようとすると、

こういう名曲というのはCDでもYouTubeでも聴くことができるから、

繰り返し情報が刷り込まれていくんですね。

自分自身が若い時にもセゴヴィアの演奏するスタイル、

にそっくりに弾く演奏というのを聴いたことがある。

「えっ!」という感想を持ったことがありますが、

それでも完全に弾ければいいのだと思いますが、

セゴヴィアのように弾くにはそう簡単でもない感じでした。

いわゆるここに錯覚ということが起こってくるんだと思う。

体に染みついてしまった情報を、

いつの間にか自分のものと勘違いを起こして、

そのとおりに弾こうとしてしまう。

そうそう演奏家の演奏するスタイルで弾くというのはしょせん無理がある。

演奏家の演奏するスタイルで弾くことができれば、

あなたも世界的な演奏家なんですね。

そんなことは普通のアマチュアではありえない・・・。

レッスンでかなり修正しても、

いざ演奏となると全くレッスンとは違う演奏になってしまう。

大勢の人を前にすると、なにが出てくるのかと言えば、

沁みついたよく聴いたCD、YouTubeの情報が出てきてしまう。

それが普段レッスンで弾いているテンポなどの情報だと勘違いしてしまう。

弾き終わった後、

なぜうまくいかないんだろうとよく首をかしげるというのを見る。

ステージの上で起こっている錯覚に、

気づいていないといいことですね。

何度も聴いて体に染みついている情報が、

いざというときに出てきてしまう。

しかし、頭ではレッスン通りに弾いていると勘違いしてしまう。

人間というのは自己肯定という本能があるから、

勘違いしてる状況をなかなか認めることができない。

そうするとまた同じ状況で同じ失敗を繰り返す。

ようするに緊張緊迫した場面になると、

普段は意志の力で抑え込んでいる、

自分の実力とは関係ない情報というのが、

ゾンビのようによみがえるんですよね。

緊張、緊迫してる場面では以外に意志の力というのは弱くて、

体に沁み込んでしまっている情報が頭をもたげるんですね。

結局そのゾンビのように頭をもたげる、

本来の自分自身とは関係のない情報に流されてしまって、

「あれ?」という結果になってしまう・・・。

本来の自分の持つ演奏に対する情報を、

いかに本番で発出することができるのか。

実は練習のほとんどは、

このことに費やされるべきものなんですね。

いかに自分の持つ本当の実力を人前で発揮できるなか。

ゾンビの情報を押さえ込んで、

自分本来の実力で一曲を弾き通す。

練習というのは自分の持っている実力を、

いかにうまく表出するかとういことに費やされるべきものなんですよね。

こういう錯覚というのは人間の一生を通じて起こることですね。

人間というのは不思議だなぁ・・・と思うところではあります。



          メニューへ(不具合中)

           topへ