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 「感性の転換」

人間って今現在持ってる感性というのがありますよね。

人によっていろいろな感性というのがあると思うのですが、

結構直線的に持っている感性というのはあると思うのです。

人間社会というのは集団的決まりごとがあるので、

それを吹っ飛ばしてしまうとろくな結果は出てこないんですね。

いかに社会の流れに合わせていくかを、

子供時から覚えていくんですね。

芸術というのはそういう社会の流れから、

大きくづれてしまったところに存在するのかな・・・。

いわゆる普通だったら普通ということですからね。

普通の感性から大きくづれてしまってる表現だから、

普通の感性からすると変わって感じるんですね。

それの面白さ不思議さというかそういうところで、

芸術的という幅の広さが出てくるのかな


ピカソの絵がなぜあそこまで価値が出てくるのか、

結局あまりに普通の感覚から、

離れてしまった世界観だからなんですね。

絵画でもそれまでの絵の感覚を大きく逸脱させて、

新しい感性を刺激できれば新しい芸術となるわけですね。

簡単に言ってしまうと、

1+1=2

これは普通の見方ということですね。

特に何の変化もないということです。

これを、1+1=Uと書いみると、

一瞬ハッと思いますよね。

間違いではないですけど・・・。

っていう感覚で見ると思います。

しかし、この表現も有りという感覚でとらえると、

そこに新しさが出てくるんですね。

ようするに発想を変えると、

新しい何かが見えてくるってことですよね。

音楽でいえば、クラシックすべてということで聴いていた感覚を、

ロックとかジャズとかクラシックとは対極にある音楽、

今や対極とも言えないですが・・・。

これも1+1=Uという発想と感覚でとらえてみると、

意外に新しい感性というのが開拓できるのかもしれない・・・。

ギターを弾いていればギターの世界が主流になると思うのですが、

そこも1+1=U、または、1+1=二、と発想と感覚を変えてみると、

新たな響きが聴こえてくるのではないかと思います。

新たな感性の開拓ですよね。

1+1=2、としているとずーーーーっとなにも変わらないのですね。

 1+1=U、とか二にして見ると、

それまで、つまんねえな・・・と感じていたことが、

いきなり新鮮な感覚というのが湧き上がってくる、

という可能性はありますね。

 人間って、常に「〜でなければならい」というところがあって、

ここのところを変えるというのは極めて難しいという気がします。

1+1=5みたいな原則を無視してしまうと、これはまたいけないわけで、

普通に行き過ぎとなればこれは単純に問題ですね。

ただ音楽に関して言えば、

感覚と発想を変えてみると、

また違う感覚の世界が広がる可能性があるかもしれない。

人間の感性とか発想は変えるとおかしなこともあるのですが、

原則線状に発想と感覚を変えてみると、

新しい世界が見えてきたりするんですよね。

どんな世界にもベースというのはあると思う。

このベースを無茶苦茶にすると、

それはただ無茶苦茶なだけとなる、

1+1=5、とかにいってしまうとどうにもならない・・・。

いわゆる独りよがりというのがついてくる世界観というところに落ちつきます。

原理原則はあまり変えない方がベターだとは思いますね。

そこは気をつけないといけないところではあります。

ただいろんな感覚とか発想というのは、

1+1=U、二、みたいにちょっと展開させてみると、

意外なほど人生を彩るかも知れない・・・。

しかし、こういうことがまたすべてではないところが、

人間のまた面白いところですね・・・。

人間の感性の多彩さというのは、

面白味ということでは無限ですね。



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